散在ヶ池の精

原文:神奈川県鎌倉市


鎌倉の今泉にある散在ヶ池の言い伝えはこうである。

昔、この池の近くに長者が住んでいた。長者は何ひとつ不足することはなかったけれど、夫婦にとって子供がないことが何よりも悲しいことだった。そこで長者夫婦は、神さまに子供がさずかりますように百日の願かけをして毎日祈り続けた。ちょうど百日目の夜、神さまが夢の中に現れて、「おまえの願いをかなえてやろう。子供をさずけよう。だが決して池の魚をとってはならない」というお告げであった。

次の年にこの長者夫婦にめでたく男の子が生まれた。男の子は神次と名づけられてすくすく成長した。夫婦は神さまの言いつけを固く守って池に近づけることもなく大切に育てていた。ところがある日家のまわりで遊んでいると思われた神次は、知らぬ間に池にウナギをとりに出かけてしまった。長者は、もしやといかりをおそれて、神さまに許しを願い出た。神さまからは「家にひきこもらせよ。おもてに出してはならぬ」ということであった。長者は神次を連れて帰り家にひきこもらせたが、神次は日に日にやせおとろえて死に近づくのではあるまいかと思われた。

神次は生きている間にせめてものなぐさみに、一度でいいから池を見せてくれるように泣いて頼んだ。長者は死を前にしている神次の頼みにろうばいしたが、一生に一度の願いを聞き入れてやった。池は茂った森の影を映してぶきみに静まりかえっていた。池を見た神次は急に元気になって池にとびこんでしまった。波が暗い森の影をくずして池いっぱいに広がったかと思うと、水の中から不思議なうなり声が聞こえた。これが神次のすべてであった。

神次が散った「散在ヶ池(鎌倉湖)」はうっそうとした山の木を映して今泉の山あいにその澄んだ水をたたえている。

『三浦半島の民話と伝説』菊池幸彦
(神奈川新聞社)より

追記