国府マチ

神奈川県平塚市


六月二十一日は国府(こうの)マチで、神揃山に神輿が集まる。集まるのは、一宮・二宮・三宮・四宮・平塚八幡宮・六所の六つである。この六人は兄弟だが、大磯の六所はままっ子であるという。

八幡様のいわれ
平塚新宿にある八幡様は女でしまいっ子(末子)だといわれている。八幡様についてはつぎのように伝えられている。

[八幡様とマサキ]八幡さんはしまいっ子だからね、行きには最後に行って、帰りは最初に帰ってくるんだってね。だから話じゃね、八幡さんはね、女の神さんでね、戦争に出たんだって女でも。それで、戦争に出るのもね、八幡さんはね、浜へ埋けてかれたって。砂浜へね、埋けてかれたって。そしたらね、マサキ(柾)をとっていかれたんだって。それで戦争に行ってしまわれたんだって。マサキが生きてればね、生きてんだし、神さんだからね、それで枯れちゃったらば死んじゃってるせ、でもってね、印をおっ立てて行かれたんだって。そしたら戦争から帰られたらね、いきいきしていたんだって。(大野 女 明治三十六年生)

『平塚市史12 別編 民俗』
(平塚市)より

追記

国府祭と平塚八幡宮のことを語ったものだが、そのままでは訳がわからないものだろう。前提として、相模の一宮から四宮、平塚八幡宮の神々が兄弟姉妹であるという話と、神功皇后のイメージが混線しているものだと思われたい。

最後に行って最初に帰ってくるというのは国府祭のこと。そして、「何か」を浜に埋けて、その生死がわかるような依代の柾を持って戦に行ったが(ここが神功皇后の三韓征伐)、帰ると浜に埋けた「何か」は生き生きとしていた、ということだと思われる。

それでその埋けられた「何か」はというと、上の相模の大神たちは、兄弟姉妹の蛇であり、埋けられ祀られたのだという話(「国府祭」)の延長であり、つまり子蛇のことだと思われる。

それが神々のどの神に当たるのかは定かではないが、同平塚には親の八幡に追い出されたので、国府祭の神輿の渡御を邪魔する若宮の伝があり、符合している(「奉遷塚と輿道」)。

なお、平塚八幡宮を女神の社だといういうのは特異な話だ。公的には国府祭に集まる御子神たちはみな男で、六所の母神に挨拶をするという。一宮から四宮を姉妹とし、平塚八幡だけ男だという場合もある。このあたりは、一宮と四宮が八幡扱いとされていたらしい中世の動向もあり錯綜している。