八幡神社の池

神奈川県平塚市


八幡神社の池は、瓢の形をしているが、寛永年間の記には、種子の梵字の形であったものを、形崩れたので八字の形としたとある。これが、大正の大改修で今のようになった。東に弁天、西に愛染明王を置き、白赤の蓮の花が咲く源平池である。

西の池に深い井戸があると伝え、永禄十二年、武田信玄が小田原を攻める際に投げ込まれた釣鐘が沈むという。明治四十四年夏の大旱のとき、池に沈んでいる竜を掘り出すと霊験があるという伝承に基づいて、池が浚われたが、確かに島の北東の一点の水が枯れず、井戸に違いないと思われた。

そして、このとき西の池から牡の竜、東の池から牝の竜が見つかった。木彫りの竜は首だけで、胴は折れたようで、角は朽ちて穴が空いていた。どちらも高さ十五センチ長さ二十センチほどのもの、材は桜のようだった。竜は浄財箱に入れられ、賽銭があげられたあと、また池に戻された。池には昔蛇が多く、白蛇がいるともいわれた。

『新平塚風土記稿』高瀬慎吾
(平塚市教育委員会)より要約

追記

平塚八幡宮の神池は今もあり、弁天さんが祀られているが、このような池であったという。信玄は小田原北条に勝たせるなら再建しようといって、八幡に火を放ったといい、その際鐘が沈められた、という話だ。平塚には四宮の方にも沈鐘伝説がある。

それにしても、各地の沈鐘への雨乞いというのは、その龍頭が現れれば雨が降る、というほどのものだが、この池には別に実際木竜が沈められていた、というところが大変興味深い。手の込んだ、というより、実は各地このようであったのではないだろうか。

沈鐘が竜蛇となる、というような端的な話もあるが(「池田沼の鐘」など)、実際には鐘自体本当にあるのかどうかというのが沈鐘伝説だろう。雨乞いに際しては「龍頭が出て来なければいけない」のだから、その設えはあっておかしくない。

なお、かつて周辺さらに小池があったといい、そちらには機織り姫の伝説もある(「ひょうたん池のはたおり姫」)。平塚八幡宮には妙に竜蛇の印象が濃いところがある。