達上池の主

神奈川県平塚市


タンジョウ池の主:タンジョウ池の話があったね。実際には見たことはないけど、魔性の蛇がいたってね。そういうことは聞いた。高麗山とタンジョウ池へ、水浴びに来たっていうか、涼みに来たっていうか。(中原)

タンジョウ池の主:タンジョウ池では、大勢亡くなっている。スリバチ池って、こうなっているから、みんなズルズル亡くなっちゃうのね。トリを、鶏を縛って、あの中、放すの、それでさぐらしてもわかんないって。引っ張りこんじゃうんだか、鶏が潜っても死体がみつかんないの。(南原)

タンジョウ池の河童:タンジョウ池に行くなってね。カッパに引きずり込まれるって。尻の穴抜かれてしまうから、泳いでんのを見ると、「およしよ、カッパに引き込まれんよ」って。(南原)

平塚市史民俗調査報告書6『大野』
(平塚市博物館)より

追記

達上池は文化文政の頃の氾濫でできたという池で、今もあって公園として整備されている。達上で「たんじょう」と読むのは不思議だが、近くに誕生という地名があったのだともいう。往昔は周辺にさらに小池がいくつもあったそうな。

その池に、このような主の話が語られた。どちらかというと河童の印象のようが強いようだが、周辺大蛇の話が別にも見える(「検校屋敷の大蛇」など)。昔の玉川、今の花水川の氾濫原であった故だろうか。

また、高麗山の大蛇が来ていた、という感覚があったところも見逃せないだろうか。下流側の上平塚に高麗山の大蛇が来ていたという話があるが(「高麗山のうわばみ」)、達上池への経路だった、ということになる。