検校屋敷の大蛇

原文:神奈川県平塚市


むかし、むかし、徳川家康という江戸幕府を開いた人が、中原に御殿をつくったころのお話です。

家康は、江戸(今の東京都)と駿府(今の静岡市)の行き帰りのとちゅうの宿泊所として、御殿をつくりましたが、今まであまり人が住んでいなかったところでしたので、御殿をまもる役人や、そのほか御殿に必要な人たちを急いであつめたそうです。

ある夏の日、駿河国(今の静岡県)から中原へ移る大工さんや畳屋さんの一行が、箱根山にさしかかると、とつぜんあたりが暗くなり、そのうち目をランランとした大蛇があらわれ、
「おまえたちは、江戸にいくのじゃろ。そしたら、わしを江戸へつれていってはくれまいか。わしは江戸が見たくてならぬ。どうじゃ、いやかな」
といって、大きな口をあけて、一行のまえにとぐろを巻きはじめました。

おどろいた人たちは、大蛇のいうことを聞かなければのまれてしまうと思い、
「へいへい、おのぞみどおりおつれいたします。でも、そのような大きなおすがたではどうしたものかと……」
「フフン、人間どもが心配することではない」
といういと、たちまち小さなかわいい蛇にばけてしまいました。

一行は、今さらながら江戸ではなく中原にいくとはいえず、こまってしまいましたが、なあにそのときになったらなったまでのこととかくごをきめ、大蛇がばけた小蛇を篭に入れ、とうとう中原についてしまいました。
「もし大蛇さま。ここがあなたさまがいきたいと申された、お江戸でございますよ」
小蛇に化けている大蛇は、かま首をもちあげて篭からあたりを見て、
「なんじゃい。これが江戸だと。家もあまりなく、まるで野原ではないか。うそをつくとしょうちしないぞ」
「とんでもありません。家が少なかろうと、さびしかろうと、徳川家康さまがいられるところが、ほんとうのお江戸でございますよ。ほれ、むこうに見える御殿に家康さまがいられますよ」
一行の老人が、ひや汗をかきながらうそをつきましたが、ほんとうに家康さまがいられなかったらどうしようと、いきたここちはしませんでした。
「ほうそうかい。どうれ、その日本で一番えらい徳川家康とやらに、あってこよう」
小蛇はたちまち大蛇となると、大きなからだをズルズルと引きずりながら、御殿へむかっていきました。

ちょうどそのとき、家康は、鷹狩りで御殿に来ていたので、これを見た大蛇も安心して、ここが江戸だと思いこみ、御殿の裏庭に住みつくことにしました。

そののち、家康が鷹狩りに来ると、だいじな鷹が、一羽、二羽ときえてしまいました。

そうです。大蛇がこれはごちそうとばかりたべてしまったからです。

しかし、家康や御殿をまもる役人たちは、大蛇のしわざとも知らず、ふしぎなこともあるものだと思っていました。

それから何年かたったある日、家康は鷹狩りでなく、駿府にいくため御殿にとまることになりました。

そんなことも知らない大蛇は、またあのうまい鷹がたべられると思い、御殿の中をさがしまわりましたが、鷹は一羽も見あたりません。

そのころ御殿に泥棒がしのびこみ、見つかって逃げまわっているうちに、床下で大蛇とはち合わせをし、びっくりして腰をぬかし、役人につかまってしまいました。

これを聞いた家康は、大蛇をこのまま御殿の主にしようとしましたが、大蛇が住むには狭すぎるため、中原下宿にある広々とした検校屋敷へ移れるようにはからってやりました。

大蛇は、死ぬまで中原が江戸だと思っていたのかも知れませんね。

(御殿)

『むかしばなし 続・平塚ものがたり』
今泉義廣(稲元屋)より

追記