月読様が口を聞いたと言う話

神奈川県相模原市緑区


徳川時代、山伏が月読神社に泊まった。すると夜中、人馬の音が石段を登って来て、赤穂馬に男の子が生まれるが、十六才で蛇にかまれて終わる、という月読様の声がした。翌朝山伏が部落に降りると確かに男の子が生まれており、山伏はその子を見守るために部落に落ち着いた。

やがて男の子は十六才となり、畳職人になっていた。しかしその夏、畳を作っていると、こめかみに蛇がたかったので、払い落とそうとして、畳針でこめかみを突いて死んでしまった。氏神様は鳥居参りに来る子の一生を既に知っていて、見守ってくれるのだ。

『津久井の昔話 第三集』
(津久井福祉事務所)より要約

追記

千木良の月読神社の話。赤穂馬は今は赤馬(あこうま)と書く。月読神社とは関東では異色だが、話の上でそこに大きな意味があるということはないー。語られるのは定命の運定めの話だが、蛇の働きに特異なものがある。

この運定めの話は、その定めを聞いて死を回避し逆に長生きする、という筋と、回避しようと努めるがどうあっても逃れられなかった、という筋に大別される。後者は水難が定まっていたので家にこもっていたが、盥に顔を突っ込んで死んでしまう、などとなる。

この千木良の話は、その部分が抜けているが、直接蛇の禍ではなく畳針で死んでいることから、本来は見守る山伏から忠告され気をつけていたにもかかわらず、という逃れられぬ運命型の筋であったと思われる。

ところで、その蛇の働きだが、蛇はこの運定めの話にたびたび登場する。しかしそれは、予告された水難を示す怪として現れるのがもっぱらなのだ(「子どもの寿命」など)。それが、この千木良の話はそうではない。

津久井地域でも、当然水の働きを大蛇で語るものはあり、また千木良赤馬は相模川のほとりであるのだが、そこで水の蛇を外してこの運定めが語られている点は興味深い。蛇に寿命そのものを象徴させた事例、といえるかどうか。