鹿と大蛇

神奈川県相模原市緑区


佐野川に板落しという所があり、たくさん鹿がいた。あるとき一人の狩人がここで大鹿を仕留めた。ところが、大きな岩の上に、見たことも聞いたこともない大蛇が鎌首をもたげていて、狩人は仰天した。大鹿は大蛇に追われていたのだ。

狩人は震えながらもどうにか鉄砲を撃ち、もがき落ちる大蛇を尻目に大鹿を担いで逃げ帰った。しかし、大猟を知らせながら家に戻ると、女房は鉄砲の弾に当たって死んでいたという。この不思議に狩人は悩み苦しみ、鹿狩りをやめて大蛇と大鹿の霊を慰めたという。

『むかし むかし』
(藤野町広報委員会)より要約

追記

この辺りには大蛇の障る話が多い。鷹取山で大蛇を見た猟師が、見ただけで寝込んでしまいなどもする(「鷹取山の大蛇」)。それなど、同時代人の体験として語られた世間話であり、大蛇がいるのだ、というイメージの強い山中であったことがうかがわれる。

鹿狩りの際に大蛇と遭遇するという狩人の話はままある。鹿をおびき寄せる笛が大蛇を招き寄せてしまいもする(「波打蛇骨」)。額面通りであれば、これもそのような不幸なタイミングだった、という話だ。

しかし、鹿や猪は、それそのものが大蛇の変化したものである場合がある。渥美半島には、(猪だが)そのような筋で、かつ最後家族の方に祟るという話がある(「豊島池の大蛇」)。佐野川の話も、鹿が出てくる必要性があまりなく、その可能性はあるかもしれない。

それにしても、殺された蛇が、殺した人を同じ目に合わせる話、殺した人ではなく家族に祟る話、というのは各地にあるが、撃った狩人の女房が鉄砲の弾に当たって死ぬ、というのは不思議だ。「同じ目にあわされた」という枠組みで良いのだろうか。