外の御前の白蛇の話

神奈川県相模原市緑区


森下の西に、何を祀ったものか外の御前という社があった。明治九年のこと。毎晩のように、その建物の一部がなくなっていったことがあった。羽目板一枚、縁側板一枚となくなっていく不思議に、夜寝ずの番を立てることになった。

すると、真夜中ごろ、大きな白蛇が現れて、垂木を一本咥えて行く。跡をつけると、白蛇は部落を出、さんやを過ぎ、おいせの森を抜け、清兵衛新田の原組に出た。そこには新田鎮守の氷川神社があったが、見るとこれまでに運ばれた部材も積まれていた。

村人たちは、これは外の御前の建物を氷川神社にお移ししたい、という神様の思召しだろうと話し合った。それで外の御前の建物は清兵衛新田に譲り渡されたのだそうな。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より要約

追記

引いた資料では、何を祀ったものか、となっているが、外ノ御前は相原華蔵院境内の仏・内ノ御前に対して、境外に祀られた社の意で、子安明神であった、とある(相模原郷土懇話会『相模原 名跡とむかしばなし』)。御祭神としては木花開耶媛命があてられていたが、地域柄からすると八王子の子安明神の流れだろうか。

今も清兵衛新田(清新)の氷川神社の本殿は、外ノ御前社のものであるという(『相模原市史 民俗編』)。しかし、外ノ御前社そのものは相原の八幡宮に合祀されている。社殿の移動が話の眼目と思って良いだろう。

それにしても珍妙な話である。神社合祀にまつわる(時期的にいってそうだろう)色々な話は各地にあるが、神使いと思しき白蛇がせっせと社を移そうとした、などという筋のものは聞いたことがない。

そもそもこの白蛇が(ついては神意が)、氷川神社のものなのか、外ノ御前社のものなのか、という点もはっきりしない。白蛇が氷川神社さんの神使いだった、という話なら通りは良い(「氷川神社と白蛇」など)。子安明神の蛇だった、となるとどうなるか。浅間の蛇の事例といえるものかどうか。