竜神が淵

神奈川県川崎市川崎区


昔、城ヶ島近くのおせんという十歳ほどの美しい娘が、岬近くの竜神の淵に落ち死んでしまった。淵は異変の前には渦を巻き知らせるので漁師には感謝されていたのだが、娘の母は竜神を恨み、せめておせんが嫁に行く年までもう一度命を授けてくれるよう頼んだ。

するとおせんは生き返り、十六の歳まで何事もなかった。そして江戸の徳川家が奥女中を募り、三浦の殿様に呼ばれたおせんは江戸に行くことになった。そして奥女中を三年勤め、場内の武士への嫁入りの話が出た。おせんは一度三浦に帰り、母を連れ江戸に戻ることにした。

その時、岬の竜神が淵で大渦巻きが起こり、火を吹く竜が海上を沖へ消えた。そして、おせんと母の乗る舟が川崎の海に差し掛かった頃、暴風が襲った。翌朝、川崎の浜には男女の水死体二十六人が打ち寄せられたという。石観音には今もその供養碑がある。(『かわさきのみんわとでんせつ 第一集』)

『川崎物語集 巻四』川崎の民話調査団
(川崎市市民ミュージアム)より要約

追記

観音町の石観音さん自体、手水に良い石を海から上げようとした漁師を亀たちが手助けした、という話のある海と縁のあるところだが、上の話と観音さんが直接関係するわけではないようだ。

ともかく、三浦半島先端城ヶ島の竜神の話がなぜか川崎で語られるのではある。三崎・城ヶ島のほうにこのような話は聞かれず、竜神が淵というのもどこのことだか分らないが、城ヶ島にはそういう印象があったのだろうか。

周辺最もイメージに合う伝のあるところというと、城ヶ島からは東になるが、劔崎のほうにその印象があるだろうか(「劔崎神社」)。関東大震災の隆起で失われたが、星見の池という竜神信仰のある深みもあったという。

また、これも「有馬の影取り池」と同じく、竜蛇に引かれる娘の名が「おせん」である話でもある。やはりこう重ねて類があるとなると、その名は筋を暗示するものだといえるだろう。