竜神が淵

原文:神奈川県川崎市川崎区


昔、三浦郡城ヶ島の近くに、おせんという十歳ほどのとても美しい娘と母が二人で住んでいました。二人は毎日浜辺に出ては流れついた木や板をひろって朝夕のたきぎにしていました。

よく晴れた朝いつものように浜辺に出てたきぎを集めているうちに娘のおせんが岬の近くにある竜神の淵に落ちてしまいました。この竜神が淵は底なしと言われ油を流したような水面の底には、竜が住んでいました。でもこの竜は浜の人達には、とても役にたちました。それは台風やつなみの来る前に淵の水面に大きな「うず巻き」がおこり、やがておそろしい竜の姿が現れるのでした。そんな時には、漁師は舟を上げて海に出ませんでした。おせんはその淵にどうして落ちたかわかりません。母親が淵からおせんをすくい上げた時にはすでに死んでいました。母親は泣き悲しみ竜神をうらみました。そして竜神に頼みました。

「竜神様お願いでございます。おせんにもう一度命をおさずけ下さい。せめてこの娘がお嫁に行くまで命をおさずけ下さい。」
と淵に向かってたのんだのです。すると不思議な事に今まで死んでいたおせんが生きかえったのです。

それから何事もなくおせんは十六歳になりました。そしてますます美しい娘になりました。ちょうどその頃江戸の徳川家で奥女中に美しい娘がほしいとそれぞれ国の殿様に、おふれが出されました。三浦の殿様も「誰か良い娘がいないか。」とさがしているうちにおせんの話が耳に入りましたので殿様はさっそくおせんを呼び江戸の奥女中におしました。

江戸に行ったおせんは奥女中を三年勤めると同じ城内に勤める若い武士の所へ嫁入り話がでました。そこでひまをもらって三浦に帰り、今度は母を連れて江戸へ行く事になりました。浜の人達は皆心から祝ってくれました。そしてできあがったばかりの舟に乗って海の上を江戸へ行く事にしました。波の静かな春の海をすべるように港を出ました。浜の人達は舟の見えなくなるまで、見送ってくれました。

ちょうどその頃です。岬の竜神が淵では大へんな事がおきました。今朝まで静かだった淵に突然大うず巻きがおこりました。そして口から火を吹いた竜が海の上をおきの方へ消えて行きました。おせん母子と村の人々をのせた舟は岬をまわって川崎の海にさしかかる頃になると、突然風が出て大波が舟を木の葉のようにゆさぶりました。舟は進む事も引く事も出来ないうちに日が暮れてしまいました。

次の朝、昨日の嵐はどこへやら、からっと晴れました。川崎の漁師が浜に出てみると男や女の水死体が二十六人浜に打ちよせられていました。その中におせん母子もいました。親切な川崎の漁師は身元を調べて手厚くほうむってやりました。

おせんと竜神の約束を忘れた母親の悲しい物語です。川崎観音町の石観音境内に今でもその供養塔が立っています。

『かわさきのみんわとでんせつ』第一集 十三頁

『川崎物語集 巻四』川崎の民話調査団
(川崎市市民ミュージアム)より

追記