影取池

原文:神奈川県横浜市戸塚区


藤沢の大鋸町に森という大鋸(大工)棟梁の家があった。その屋敷の一角に竹藪におおわれた小さな池があり、そこに長さ一間(一メートル八〇)もある青大将が住んでいた。森家ではこの蛇を「おはん」と呼んで大切に育てたので、おはんは間もなく一日に酒三升(五・四リットル)と米一升(一・五キロ)をペロリとたいらげるほどの大蛇になった。小田原藩おかかえの大工の棟梁として、大きな勢力を誇っていた森家にしてみれば蛇のえさ代に事欠くようなことはなかった。

しかしやがて大ききん(天保のききん)が、相模の国をおそうと、おはんを飼う余裕のなくなった森家では、藤沢宿の東はずれにある池へおはんを放した。ところがまもなくこの池についておそろしい風説がささやかれるようになった。池のほとりを歩く人の影が水面にうつると、たちまち水底深く吸いこまれて死ぬというのである。村人はこの池を影取池と呼んで近づこうとしなかったが、ある日勇気ある一人の猟師がやって来て、ついにおはんを鉄砲でうち殺した。以来影取のうわさはきかれなくなったという。影取町と猟師が住みついたという鉄砲宿の地名が残っている。

『戸塚郷土誌』戸塚区郷土誌編さん委員会
(戸塚区観光協会)より

追記