大幡と腰巻

東京都八王子市


昔、鈴のついた大きな旗が飛んできて、宝生寺西の山に下り、山の腰に巻き付いた。それで大幡山宝生寺といい、腰巻という山の名が起こった。旗はやがて東へ飛んで七生村の不動様のところへ差し掛かった。そこで高く舞い上がって見えなくなったので、そこに高幡という名が起きた。

大旗はそこから飛びに飛んで、相模の日向薬師の境内の松木に引っかかったという。それで、旗は今薬師様の宝物になっている。

『恩方村の伝説』塩田眞八
(八王子郷土資料研究会)より要約

追記

大幡山宝生寺は今もある。大幡の名はこの山号と公民館などに見えるくらいだが、和紙づくりの里として知られた。大幡の地名が先にあったのだろうが、こうして飛ぶ旗の伝説が語られることになった。

面白いのは、日向薬師に向かったという旗だが、その手前、相州八菅山にも飛ぶ幡の伝説があり(「幡の坂」など)、その八菅山には山容を竜の姿に見立てる話があることだ。日本武尊が山容を龍に見立てたので、蛇形山といった、という話が八菅山にはある。

大幡の方も、宝生寺から徒歩一時間もないところの名刹・心源院とその周りの山に、山容が竜であるという話がある(「関東の蛇山」)。これが偶然かどうか判然としないが、この双方の並びは併せ覚えておきたい。