かんまがりのうなぎ

東京都大田区


呑川は弁天神社のあたりで強く曲っているが、土地の人はそれをかんまがりと呼んでいた。昔、その里にお爺さんと娘が住んでいた。娘はたいそう料理が上手であったという。

ある年の夏、台風が来て、呑川が氾濫し、明けて見に行くと、川の淵に裸の若者が倒れていた。お爺さんと娘は連れ帰って介抱し、若者は息を吹き返した。そして、若い男女のこと、娘と若者は夫婦になった。

その後、若者は嫁の料理上手の程を不思議に思い、その秘密を探ろうと、夕方に家を出ていく嫁のあとをつけていった。すると、嫁は蛇を捕まえ、その蛇から料理のだしを取っていたのだった。若者は驚き恐れ、知られたと気づいた嫁は、どうかこのことは内緒にしてくれるよう夫に頼んだ。

ところが、そこで夫が驚くべき身の上を明かした。自分は人間ではなく、かんまがりに住んでいた鰻なのだ、と夫は言った。そして、自分に似た蛇から料理のだしを取るとはおそろしい、と言い、夫は川へと帰ってしまった。娘の方は、その後世をはかなんで川へ飛び込んでしまったという。

大田区の文化財 第二十二集
『口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
(大田区教育委員会)より要約

追記

「かんまがり」というのは東京都大田区大森東の方でもう海も近く、「旧呑川緑地」となっている所あたりだそうな。地図を見ても、かつての呑川の流れを示している緑地帯がうねっている(今の呑川は南の方をまっすぐに流れている)。

そのような土地にこのような鰻聟の話があったものなのだけれど、なかなか不思議な話だ。そもそも精力、という点から聟化しやすそうな鰻だけれど、実際はあまりそういう話は(本邦には)見ない。

また、蛇から出汁を取って妙においしい飯を作るなどという娘は、大概本人が蛇体であるものだが(「仁池」など)、ここでは鰻を聟にとる人の娘がその業を発揮している。鰻のヌシをよく語る土地柄ゆえ、鰻聟の点は良いとしても、かなり筋の変化のあった話ではないか。

なお、多摩川を渡って一里もない土地にできた川崎の味の素工場は、大正の頃にその原料は蛇だ、というデマに苦しめられたという(「味の素に蛇を買ってもらう」)。「蛇の旨味」の印象が強くあった土地柄であったことは知っておきたい。