かしらなし

埼玉県新座市


現在新座団地となっている柳瀬川沿いは低湿地で葦が茂り、涌水や沼があちこちにあった。その一画にかしらなしというところがあったが、大きくて誰もその頭を見たものがないという蛇が住んでいたのでそういったという。

昔、その沼地は鯰などがよくとれた。大和田のある人がたくさん魚をとったところ、俺の食うのがなくなるじゃないか、と声がした。見ると、草むらの中に大きな蛇の胴体が見え、頭も尾も見えなかった。その人は仰天してとんで帰ったが、間もなく亡くなったという。

『新座市史 第四巻 民俗編』
新座市教育委員会市史編さん室
(新座市)より要約

追記

北東に向け流れる柳瀬川の右岸側。新座小学校から北東方にかけてその沼はあったらしい。上にもあるように、今は巨大な団地群となっており、跡形もない。

一帯は、平安末頃に郡司長勝なる伝説の領主が拓いたという土地で、ここの大蛇を長勝が討伐したのだ、という伝説にもなる(「かしらなし沼」)。これは柳瀬川を下った志木市の方にも同じような話がある。

また一方で、所沢の滝之城の大蛇が討たれ、首を亡くした大蛇が大和田に逃げて来て死んだので頭無(かしらなし)という、という話もある(「滝之城の大蛇」)。これだと頭の切り落とされた蛇の意味となる。

ともあれ、こうした「かしらなし(頭無・首無)」の地名が大蛇に由来するのが当地の特色なのだけれど、その本来の意味は何かというとよくわからない。源流の不明な川、水源の不明な池沼をそういうという説もあるが、どうか。

なお、土地に独特とはいえ、類例が他にないわけではない。直接のつながりがあるとも思えない富士五湖河口湖の方にも、頭を斬られた大蛇に由来するという頭無地名がある(「頭無山」)。信州佐久の方に行ってもある。