秩父神社の水のみの龍

埼玉県秩父市


神社の社殿に左甚五郎の作といわれる龍の彫りものがある。この龍は、昔、神社から三町ぐらい隔たった天の池へ毎夜毎夜水呑みに出ては付近の田畑を荒らしたという。そこで困った氏人たちは、龍を鉄の鎖でうごけないように固くつないでしまったので、龍は鉄のさびをなめて死んでしまった。それからは鎖をとっても出歩かなくなったという。今も鎖につながれている。(『郷土研究資料』第二輯・韮塚一三郎『埼玉の伝説』)

『埼玉県伝説集成・中巻』韮塚一三郎
(北辰図書出版)より

追記

埼玉県にはこの、左甚五郎の彫った竜が動き出す、害があるので封じる、という伝説が、まことに多い。おそらく日光東照宮の造営に関わった職人達が野に下った結果だと思われるが、では宇都宮などの方にはもっとそういう話があるかというとそうでもないので、即断はできないが。

秩父神社のこの話はもっともオーソドックスなものといえるだろうか。与野の長伝寺や、越生の最勝寺などもそういい、木像でなく狩野元信の筆になる天井画の龍が、などとも比企川島の金剛寺ではいう。

ここからは、そういった話の内でもすこし別の要素を含んでいく例を見ていきたい。まず、いくつかの伝で、山門の竜像が葬列の遺体を喰う、というものがある(「国昌寺の開かずの門」など)。それは多く火車の怪の仕業といい、正体は化け猫だといわれるものだが、龍が、という話にもなるのだ。これは非常に興味深い。

次には、雨乞いとよく関係する道具立てではあるので(その結びつき方に土地柄があると思うが)、その代表的なものを見ておきたい(「泉福寺の竜」)。リンク先の話は竜の封じ方として少し特徴的なところもある。

また、結末は同じようでも、はじめに甚五郎の竜像ありきなのではなく、先にそういう暴れる竜蛇がいた、という筋であるものも見ておきたい(「釘付の竜」など)。この筋には事の前後の逆転というのがよく表れているように思う。