国昌寺の開かずの門

埼玉県さいたま市緑区


国昌寺は曹洞宗の古刹だが、山門に左甚五郎作と伝える龍の彫刻がある。ところが、この山門の扉は常に閉鎖されたままで「開かずの門」と呼ばれており、次のような伝説がある。

昔、寺の檀家の葬列がこの門を潜ると、中の仏様がなくなり、棺が急に軽くなる、ということがあった。そしてそれは甚五郎の龍が喰ってしまうのだといわれた。そういうことがあって、その門は開かれることがなくなったのだそうな。

また、この山門の龍は、見沼が大雨で氾濫すると抜け出て、湖面をのたうち回ったともいう。それで、その頭には太い釘が打ち込まれ、以降は抜け出すことがなくなったのだそうな。

『埼玉県伝説集成・中巻』韮塚一三郎
(北辰図書出版)より要約

追記

原題は「異変をおこす龍」同タイトルで同系話が二話あるので、別に題を付けた。その同じ様な話というのは越谷市のほうの清蔵院というお寺の話になる(「清蔵院の龍」)。これも葬列の棺の中身を喰ったという。

さらに、国昌寺の龍は見沼で暴れたとあるが、その見沼干拓の詰め所とされた万年寺にも、その山門前で棺桶が暴風にさらわれる怪の伝があった(「見沼の竜神」)。

ともかく、甚五郎の竜があれこれ悪さをするという話の頗る多い埼玉県下の中でも、このような葬列の棺の中身を喰う、という話は非常に興味深いものだ。概ねこういったことをする怪は火車などと呼ばれ、正体は化け猫であるとされ、実際葬儀の民俗風習の中にこれを避けるための呪いとされるものもあるわけだが、ここでは寺の山門の龍が行っている。生と死の境に現れる存在が竜蛇であるというなら、本来これこそがふさわしい。

現状この埼玉に事例が固まっているというだけなので、本来は竜蛇の仕業なのだ、というわけにはいかないが、同様の話(同じ意味を含む話)が各地にも見えてくるようなら、そういったことが論じられることになるかもしれない。