お仙ヶ淵

群馬県多野郡上野村


昔、庄屋の家に仙という美しい娘の奉公人がいた。皆に可愛がられたが、その正体を知る者はなかった。ある日、偉い役人の接待があり、庄屋様は拝領の膳椀を取り出し用いた。金蒔絵に埋め尽くされたその素晴らしさに仙は驚いたが、運ぶ時に過って落とし、壊してしまった。

さすがの庄屋様もこれには仙を叱責したが、それで仙は罪を悔いて淵に身を投げてしまった。しかし、その時に仙は、寄せ事で必要な膳椀があれば、きっと淵に浮かべておきます、と言い残した。そして、それからはその通りに、村の人たちは仙が淵で膳椀を借りることができるようになった。

仙は淵の主とあがめられるようになったが、何年かの後、うっかりした女の人が、淵で汚れ物を洗ってしまうということがあった。すると、突然の大雨に雷鳴がとどろく暴風雨となり、収まらなかった。

その夜半、止まぬ嵐の中を笛太鼓の音が聞こえてきた。不思議に思った村人たちが締め切った雨戸の隙から覗くと、なんと丸太ほどもある大蛇が鎌首をもたげて激流を川上に向かう様が見られた。

その嵐の日から、淵に膳椀が浮くことはなくなってしまった。そして村人は、仙が大蛇の化身であったことに気付いたのだった。仙はきっと淵から里を見ていたかったに違いない、と悔やんだ。仙は上流にあるもとの棲家「メドウ淵」に移り、今も潜んでいるのだという。

『上野村の文化財・芸能・伝説』
雨木久康・他(上野村)より要約

追記

淵が乙父沢川のどの淵であるのかは現状不明。この淵にはまた別伝として、膳椀を貸したヌシの大蛇が、お仙という娘のところに蛇聟として通った、という筋もある(「お仙が淵」)。

秩父から西上州にかけては、大水などで亡くなった娘が下流のどこそこで蛇となって暮らしているので弁天に祀った、などという話が屋敷神のこととしてよくあり、その一面もあるだろう。仙の大蛇が笛太鼓を鳴らして川を遡るが、ジャンボン(葬式)のイメージがある。

また、その主役となる娘が主に引かれたのだ、いや、もともと娘が蛇だったのだ、と話に振幅がある例というのもままある(「お玉井戸」など)。その違いが何に由来するのかは定かではないが、神に祈願して授かった娘の入水の話などと比べ考えるべきものかもしれない。