真楽寺に大沼という池がある。北東隅に三つに割れた岩があり、裂け目から水が湧き出し、七五三縄が回らされ、諏訪明神が祭ってある。昔、甲賀の三郎という人が、美人を連れ合いとしていたが、二人の兄に嫉妬され、立科山の人穴に欺かれ落とされた。妻もその悲しみのあまり、人穴に飛び込んでしまった。
三郎は穴の中をさまよい、真楽寺の大沼の池に光明を見つけ、外に出ることができた。ところが、彼の体は巨大な蛇身と化していた。蛇身の三郎は立科の頂を目指して這ったが、大沼から三町ばかりにある窪んだ石はこの時三郎が通った跡だという。
三郎は近津の森で後ろを振り返るとまだ尾が大沼にあったので、まだ近い、と言った。それで近津の森という。立科山の頂に至り振りかえると、尾は前山の貞祥寺の松の枝に垂れていた。それで尾垂山と号し、尾垂れの松という松がある。
三郎は諏訪に至り神となった。諏訪明神がこれであるという。三郎を追った妻も闇の世界から外に出たが、それは大沼の東南十三町あたりにある湧玉の池であったそうな。これも蛇身となった妻は、妙義山を目がけて進んだそうである。
諏訪湖の諏訪明神を甲賀三郎なる人が竜蛇となり神となったのだとするのは、『神道集』にある「諏訪縁起事」による。いつ頃の時代が背景なのかというと、氏名や役職名などを度外視して、縁起の「安寧天皇五代の孫」をとるならば、欠史八代の大昔ということになる。
これが昔話としていろいろに語り継がれたものが多くあり、なぜか諏訪地方ではなく佐久や小県のほうによく見える。大型竜蛇伝説なので詳細はさておき、舞台となる佐久のいくつかの話を並べておこう。タイトルはみな「甲賀三郎」なので、地名などを付した。
尾垂山(は、正規の号ではない)貞祥寺のある佐久市前山の話(「甲賀三郎・前山」)では、小沼の話にはなかった双子池への移動が語られてくる。無論このあたり尾垂山や双子池は「諏訪縁起事」にはまったくない要素だ。
双子池のある佐久穂町上の話(「甲賀三郎・上影」)には、縁起にはあるが先の二つの話にはない、地底の国の姫(縁起では維縵国の維摩姫)との結婚も語られている。しかし、なぜかこれには双子池が出てこない。
話を小沼のほうに戻すと、同地でもさらに枝の小さい話というのが色々にある(「甲賀三郎・枝話」)。話の内容がそれぞれに違っていくが、この話の枠組みで自分の土地を語ろうとするとそうなるのだろう。さらに周辺の枝話へ結びつけていく繋ぎ目でもある。
大本の引いた話の中では、その妻の動向も気になる。縁起では大和春日の春日姫なのだが、今真楽寺で行われている龍神祭では舞姫という雌龍として登場している。これが縁起では諏訪下宮として示現するのだが、引いた話では上州妙義山に向かったとなっている。あるいは、上州一宮の話に接続していくのかもしれず、ここは注意しておきたい。