火とぼし

長野県諏訪市

昔、上諏訪の互いに働き者の若者と娘が好きあい、良い仲になったが、若者が湖を越えた西の村に移って働かねばならなくなった。娘は一緒に行きたいとせがんだがそうもいかず、若者が一日の仕事が終わったら松明の火をともし、娘はそれを見てはるばる湖を廻って会いに行く、という約束をした。

そうして娘は足に血をにじませながら、毎夜若者の住む西の村へ通うようになった。若者の所に着けば、きまって胸の所からお燗をしたような酒とっくりを出してみせるのだった。娘が西の村へ着くまでの時間はだんだん短くなったが、それでも娘はこの湖さえなければ、と思うのだった。

ある夜、いつものように松明をともした若者は、娘があっという間に現れたのに驚いた。それに、いつもの酒に加え、湖の魚を温かく煮たものも出してくれるのだった。しかし、娘の髪はばらけ、毛先からは水が滴っているのを見、若者は娘が湖を泳いで渡ってきたことに気が付いた。そして、若者は娘が魔物ではないかと怖くなった。

若者の態度はそれから冷たくなり、恐ろしい考えを抱くに至った。その夜、若者はいつもより南手の小坂観音の上に火をともした。小坂観音の沖は湖でも一番深く、娘にそこを泳がせて、溺れさせようと考えたのだった。娘は南にともった火を不審に思ったが、それでも初冬の冷たい水を渡りはじめた。

身を切る冷水の中、若者を思う娘は火のように真っ赤に燃え泳いだ。若者は、湖の東から、火の玉が水をかき分ける音を立てながら近づいてくるのを見た。ところが、火の玉は小坂観音沖に来ると、ピタリと止まり、消えてしまった。若者の思ったとおり、あわれ娘は深みに溺れてしまったのだった。その若者も間もなく得体の知れない病気で死んだという。若者が火をともした山は、今も火とぼし山と呼ばれている。

竹村良信『諏訪のでんせつ』
(信濃教育会出版)より要約

燗をしたような酒と煮たような魚というのは、娘が酒と泳いでくる途中とった湖の魚を胸に入れておくと、その熱さでそうなった、ということで、すでに人ではないほどの存在となっているように描かれている。

また、各地の水を渡る女の話はどれも男のほうがともす火が印象深く語られるものだが、ここでは娘が最後火の玉となって描かれており、娘の軌跡が火の軌跡としてまた一方の印象を与えるものとなっている。