内梨滝の大蛇

千葉県夷隅郡大多喜町

平沢山の奥に内梨滝がある。三段の滝で一岩窟があり、大蛇が棲んでいたと伝える。大蛇は往年近くにあった撲沢(うつざわ)池にいたが、地震で池が埋まり、内梨滝の岩窟に移ったのだという。そこに、地方の豪族関平内左衛門が犬を連れて狩に来た。

滝近くで眠気を覚えた平内がひと眠りしようとすると、犬が頻りに吠えかける。しまいには噛み付かんばかりとなったので、平内は犬の首を打ち落としてしまった。すると犬の頭は宙に舞って落ちて来ず、不思議と思って見上げると、平内をひと呑みにしようとしていた大蛇に噛み付いているのだった。

平内は一矢で大蛇を射殺し、犬の忠心に感じて塚を築いた。大蛇の頭は三條村にあって「のの塚」と呼ばれているという。さて、平内はこの大蛇討伐の弓矢を鎌倉の鶴岡八幡宮に奉納しようと、古ッ津の渡しから船に乗った。しかし、突然大鮫が出て、船を背に乗せて動かさなくしてしまった。

平内は、これは先の大蛇の霊が鮫となったかと、これも一矢で海に沈めてしまった。さらにその後のこと。鎌倉から帰った平内が海辺の宿の手水を使おうと井の端に来ると、珍しい大魚の骨がある。宿の主人に尋ねると、それは古ッ津から上がった鮫の車骨であるといわれた。

平内はこれまた敵の骨であるかと、目障りに思い、足で蹴飛ばした。ところがこれがもとで、蹴飛ばした足がにわかに腐り落ちゆき、平内は死んでしまったのだという。関平内の子孫は古羽戸村に住んでいるという。
(最後段に房総の蛇の俗信などがあるが割愛)

藤沢衛彦『日本伝説叢書 上総の巻』
(日本伝説叢書刊行会)より要約

内梨滝の大蛇退治の場面は「忠義な犬」の話型として広く語られるもので、全国各地で主人を救おうと吠え立てた犬が手討ちにあっている。このモチーフはまたそれそのものとして追う線がいずれ張られるだろう。

常陸北浦では矢幡要害を築いたという土子土呂之助(泥之助)が、打ち取った大亀の甲羅をふんづけて後、その怪我がもとで死んだというし、遠くでは四国の方にもそういう猟師がいた。