大蛇の霊 千葉県富津市 富津(古津)の洲尖(すさき)は相模走水と相対し、犬牙のような状をしている。昔、関の平内左衛門という豪傑が内梨で大蛇を射止め、その弓矢を鎌倉の八幡宮に奉納しようと、古津から相模に渡ろうとした。 すると、大きな鮫が現れて、舟を背負って通そうとしない。平内は怒って、おのれは大蛇の霊であろう、と言いざまにこれも射止めてしまった。このことがあってから、氏族の者を乗せて古津から船出すると、船中必ず難に遭うと言い伝えられている。 藤沢衛彦『日本伝説叢書 上総の巻』(日本伝説叢書刊行会)より要約 NDL 「せきのへいない」という豪傑が大蛇を射倒したという話は房総各所で語られる。関平内左衛門その人の本貫としては勝浦市赤羽に縁の寺などがある。内梨の大蛇退治の伝説というのは今の大多喜町内となる(「内梨滝の大蛇」)。この大蛇はまた近隣を転々と移動してきた話の長くなる蛇でありそちらから追われたい。 また、大蛇退治の伝説も「忠義な犬」のモチーフで構成されている話であり、さらに、後日談として平内が三度現れた蛇の頭骨を蹴飛ばして祟られ死ぬという伝がつくが、それはまた別の機会に追いたい。ここでは、ともかくその蛇が海の鮫と化しているという点で引いた。 ツイート