毛呂の榛名の申し子

埼玉県入間郡毛呂山町

岩井に勝田屋敷跡があるが、勝田家は毛呂氏に仕え、後この地に住んだ長者であった。しかし寛文の頃、何不自由なかったこの長者家に一つの悩みが起こった。夫婦の間に子ができなかったのだ。そこで、夫婦は日頃信仰する榛名山へ子を授けたまえと心願をかけた。

すると願叶って女子が生まれ、夫婦は喜び、平和な幾年かが過ぎた。その娘が七歳になったとき、夫婦と娘は大願成就のお礼参りに榛名山を訪れた。ところが、榛名湖のほとりでその眺めを堪能していた時、晴衣姿の娘がにわかに駆け出し、榛名湖に飛び込んでしまったのである。

驚愕し震える夫婦の眼前に現れたのは、竜神と化した娘だった。娘は、夫婦の心願にうたれて榛名の神の子として化生したが、自分は榛名湖の竜神であり、いずれ帰るさだめだった、とこれまでの礼を言い、これより毛呂郷には雹は降らせない、と約束し湖に沈んだ。

夫婦は神の計らいだったのかとさとり、せめてもと入水の場所に標を立てて冥福を祈った。それより、毛呂郷では榛名山にあやかり「勝殿領分、毛呂七分」と唱えて雹乱を免れているという。

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・下巻』
(北辰図書出版)より要約

原題は「榛名の申し子」。三話が同名で扱われているので地名を付した。毛呂山町にはこのような榛名湖の竜蛇が子のない夫婦の娘と化生していた、という話がある。さらに川越にも次兵衛夫婦の娘として、花園(深谷市内)でも大治郎という人に拾われた赤子として榛名湖のヌシが人の世を訪れている。