男体・赤城の神争い

栃木県日光市

むかし、男体山の神と赤城山の神が、美しい中禅寺湖を領地にしようと奪い合う戦いをした。しかし中々勝負がつかず、男体の神は鹿島の神に助けを頼んだ。すると鹿島の神は自分が助けるよりも、男体の神の子孫の猿丸という弓の名人に助けを求めるように助言した。

猿丸は奥州に暮らしていた。男体の神は白い鹿に化けると猿丸の前に現われ、これを仕留めようとする猿丸を誘って日光に戻った。ここで男体の神は姿を戻すと自分が猿丸の祖先であることを語り、また赤城の神との争いの事情を話し、助力を求めた。

猿丸は引き受け、どのようにしたら良いのか問うた。男体の神は、自分が大蛇となり、赤城の神が大百足となって争うだろうから、その百足の目を弓矢で射抜くよう教えた。戦いが始まり、何千何万という眷属の蛇の群れと百足の群れが噛み合う凄まじい争いとなった。

猿丸はその中でひときは大きな蛇と百足が絡み合っているのを見つけ、これに違いないと大百足の目をめがけ矢を放った。矢は見事に目を射抜き、敗れた赤城の神は血を流しながら逃げ去っていった。

この戦いのあった野原を戦場ヶ原、勝負がついた所を菖蒲ヶ浜、男体の神が勝利を喜び歌い踊った所を歌ヶ浜という。また、今でも正月四日には男体山の神を祀る日光二荒山神社では、赤城山の方へ向って矢を射る武射祭が行われる。(『栃木の伝説』)

『日本伝説大系5』(みずうみ書房)より要約

「日光山縁起」では有宇中将が日光権現(男体の神)として示現され、赤城大明神と中禅寺湖の領有をめぐって争うのだが、中将らの示現という本地物の要素を除いて昔話風にすると上のようになるだろう。猿丸は下野小野氏の祖とされる(日光二荒山神社の代々の神官は小野氏)。

しかし、野州では概ねこの筋に準拠して各類話が語られるというものの、「縁起」においては猿丸を誘う白鹿は女体権現(陸奥朝日長者の娘、朝日の君)であるし、その女体権現も「諏訪縁起事」では甲賀三郎の母ともなる。

さらに、猿丸は「日光権現事」に唵佐羅麼とあるが、「赤城大明神事」では赤城沼の龍神を唵佐羅摩女といっており、無関係とは思われない。まだ、示現太郎のことなども色々にあるが、要するに中世縁起の時点ですでに様々に錯綜したところがあって、一筋縄にこれが決定版、といかない難しいものとなる。

このようなイメージの広がりがあり、日光・赤城の神争いの話は、簡単に縁起に収斂させるわけにはいかないのだ。周辺いろいろさまざまの山の背比べ、巨人の争いの伝説と並べてみるということも必要だろう。