むかし、赤城山に千谷あれば、赤城山が高野山になれたという。ところが一谷足りなかった。そこで、赤城さんは、山中のフジを切って日光へ谷をひとつ盗みに行った。フジのつるで谷を背負って来るつもりであった。しかし、日光さんに見つかって、谷を取ることができなかった。それから、赤城と日光の神は仲が悪くなったという。また、赤城山には、フジがなくなってしまったという。こういうわけで、日光様へおまいりした足で、赤城様へおまいりしては、ご利益がないといわれている。(『群馬県史』民俗編基礎資料)
「男体・赤城の神争い」は、一般に大蛇の日光権現と大百足の赤城明神の争いとされるが、このように蛇百足から離れたイメージの話もある。
山の藤がなくなった、などというのは巨人の争い、山の背比べの伝説に顕著なモチーフであり、この話も赤城明神と日光権現の争いというよりは、赤城山と日光山(の巨人)の話という雰囲気のものだ。
東国の神争いの話には、この地に限らずこういった巨人の争いの側面がある。それは、奥州に行ってもそうだろう。神社に祀られている神様の争い、というのは一面でしかないということだ。