鰻お小屋

栃木県栃木市

太平山一の鳥居近くの神橋と御手洗の上に、御神木の杉の大木があり、その根本に三坪ばかりの小屋がある。中は石組で池になっている。これは、鰻お小屋といって、遠近の信者が鰻を奉納に放つ池である。ここへ納めた鰻は神の徳によって白くなるのだという。

鰻が小屋の池に充満して毬のように絡み合っていて蛇のように見え、気の弱い者は一目見て卒倒せんばかりであったという。また、年取った耳の生えた鰻もいるという。

ところが、幕末所謂勤皇の太平天狗が山に立て籠もり、この鰻を食ってしまい、その乱暴さを町人に恐れしめ、恨ましめた。それ以後鰻の奉納は減ってしまったといい、明治の中ごろまではあったが、今は絶えた。鰻お小屋は今も水を湛えているが、山の茶屋の水汲み場となって、大きな柄杓が置いてある。(部分要約)

小林猶吉『下野の昔噺 第一集』
(橡の實社)より要約

話の鰻お小屋なるものが現在どうなっているのかは不明。いろいろの紹介など見てもちょっと見えない。しかし、これほどの鰻の池があったというなら、まさに鰻の宮としては中心的な場所であっただろう。

また、水戸の天狗党が山に立て籠もって、この鰻を食ってしまった、というところは栃木の鰻の禁忌が緩む原因としてよく語られる。未来社の日本の民話でもここは語られるが、乱暴者の天狗党が太平山の鰻を食いだしたので、皆はこれで勝手に罰が当たると笑ったが、なんともないどころか逆に元気になってしまったので……云々、という感じになる。