太平山と鰻

栃木県栃木市

今はもうそんな人もいないが、昔は栃木町の人は絶対に鰻を食わなかったので、栃木の人でも鰻をさしつかえありませんか、と聞かれるほど、他の土地にも知れ渡っていた。

物堅い料理屋などは、客がふざけて女中に鰻を注文しようものなら、亭主が真っ赤になって客の座敷に行って、鰻が食いたけりゃ他所へ行け、と断ったという。また、鰻の蒲焼を出す店でも、年に一度は細鰻を巴波川に流し、放生供養したものだった。

太平山神社の額堂の中には、古い額に錆び細った四五寸の鰻掻きの鉤が板に結いつけられて奉納されている。鰻を捕って病気か災難にあって、太平山の罰が当たったと懺悔したのだろう。太平山の乗り馬が鰻であり、今本社の東にある星の宮が本宮で、連祥寺が別当であった。

神道としては三光神社といって日(天照大神)・月(月読命)・星(瓊々杵命)を祀るが、仏教では星の宮と呼んで虚空蔵菩薩が本尊である。神仏分離で虚空蔵菩薩は一時荒れ果てたが、今は表坂の中腹に立派な六角堂が建てられ祀られている。栃木の人は日参・月詣りと信仰が厚かった。(部分要約)

小林猶吉『下野の昔噺 第一集』
(橡の實社)より要約

現在太平山神社は瓊々伎命(を星だというのも注目される)を主祭神に、 天照皇大神・豊受姫大神など四十二座の神々を祀る。月夜見尊は配祀となるが、三光神社の名からいえば、確かに日月星の並びのほうが妥当に思える。ともあれ、そこはこのように星の宮・鰻の宮でもあったのだ。

原話の「栃木市と鰻」は栃木市と太平山と鰻に関していろいろ長く(やや散漫に)書き連ねている稿なので、内のひとまとまりとなる内容を抜き出して要約する。続く他の内容は以下参照。