昔、矢幡に北浦を眺望する矢幡要害があった。島崎城の家老であった土子土呂之助(泥之助)が築き、土子の要害台とも言った。ある時、村人たちが北浦を眺めて大騒ぎをしており、何事かと土呂之助が要害台から見ると、大きな亀が北浦に浮いていた。
土呂之助は、あれが水田を荒らしまわっているという大亀か、と弓矢を持ち、一矢見事に亀の背中に命中した。村人たちが歓声を上げる中、亀は沖へ沖へと流されていったが、しばらくのち、土呂之助が武者修行の旅に出、鎌倉の宿に泊まった時のこと。
その宿の床の間に、見覚えのある矢があり、見ると確かに自分の銘が入っていた。主人に尋ねると、矢を受けた大亀が流れ着いたのだという。一畳もある亀の甲羅は、洗い場の踏み台として使われていた。
土呂之助は不思議な巡り合わせを思いながら、いやな予感を抱きつつ甲羅に足をかけると、突然甲羅はぱっくり二つに割れ、土呂之助は転んで軽い怪我をした。ところが、この傷が破傷風となり、土呂之助は旅先に亡くなったのだという話がある。