法念沼

福島県いわき市

山田の大津に森に囲まれて三つの沼があり、そのひとつを法念沼といった。日に七回、七色に代わる美しい沼だった。沼の主は大亀と言われていたが、誰も見たものがないという。

今から百二、三十年前のこと。大津に緑川覚右衛門という百姓がいた。彼は学者でもあり弓の名人でもあったが、藍も作り、各地に行商することを副業としていた。その覚右衛門が法念沼で釣りをしていた時のこと。一匹の大亀が浮かび上がり、覚右衛門はこれを射ようと弓矢を取って帰った。

そして大亀を矢で射ると、亀は沼に沈み、沼の色は紫色になったという。それから間もなく大水になり、人々は大亀の祟りだろうと噂した。沼の底に沈んでいた亀は、この大水で海のほうへ流されたそうな。

月日がたち、藍玉の行商で常陸国龍ヶ崎を訪れていた覚右衛門は、宿屋の足を洗う盥の中に、亀の甲羅が貼ってあるのを見た。驚いた覚右衛門は足を踏み入れ怪我してしまったが、さらに驚いたことに、部屋の床の間には一本の矢が飾ってあり、そこには自分の名が書いてあるのだった。覚右衛門はこれより重い病気となり、その宿屋で死んだという。

いわき地方史研究会『いわきの伝説と民話』より要約

過去形で語られているが、法念沼は今もあるようだ。大津の隣の成竹地内となるが。十六世紀、永正・大永の頃の鮫川の大洪水でできた沼だというが、上の話の調子だと、その後も大水で洗われた土地なのだろう。