御前滝 茨城県高萩市 昔、その滝には蛇がいだ。その滝で釣りをしたり、滝へ入ったりすると、もどってきた人はいないんだって。 そういう伝説を光圀さんが聞いで、漫遊するとぎに、ここへ立ぢ寄って、 「そういう川は、ひとつ見だい。」 と言って、水戸の殿様が見だんで、そういう名前が付いだ。 話者 宇野光興(下君田) 高萩市教育委員会『高萩の昔話と伝説』より 現状高萩の御前滝というのは不明。大北川の横川滝に水戸の黄門さまが来た、という話があり(「横川滝」)、あるいはそこのことだろうか。ともあれ、常州にはこういった水戸の黄門さま・御前さまが来た、という話が多い。 そういった話には、当時水戸藩の行った社寺整理に関するものもあり、単に「水戸黄門の漫遊」イメージに由来するばかりでもない(「上君田の十殿様」など)。取りつぶしを免れるために、社伝が急に充実するなどということは、明治の世にもよく見られたことで要注意な点でもある。 しかし、仮に「御前さまが来た」という話そのものに大きな意味はなくとも、離れた二点でこれが語られることが、その二点の連絡を補強する、というようなことはあるかもしれない(「花園神社と七ツ滝」)。 また、御前さまの話があるといっても、常州ではそれが全て水戸黄門のことだったか、というとそういうわけではない事も要注意だ。中のいくつかは違う御前さま、とりわけ瞽女(盲御前)の話だったろうものもある(「おりわ峠」)。これは併せ覚えておきたい。 ツイート