野々井の鰻 茨城県石岡市 石岡には大昔、六つの噴井があった。ここに私たちの先祖が集まり部落を形成、今日の基を築きました。のち人工を加えて井戸とし、薬師如来を祀りました。これを府中六井と云い、石井・杉の井・野々井・室ヶ井・小目井・鈴尾井であり、石岡の尊い史蹟である。 右のうち、野々井には大鰻がすんでおり、ある日百姓が之を捕殺したところ、その血が三日三晩、山王川に流れ霞ヶ浦に注いだという。この百姓は忽ち、大病になったが、薬師を信仰したので一命はとりとめたという。野々井は国分町柳町地先、左側の水田の中にある。 『茨城の民俗6』より 府中六井のことは石岡ではよく知られ、石碑などあるが、野々井は残念ながらすでにない。かつては、六井の周りは耕作を禁止し、その周辺も肥料の使用を禁ずるなどし、その清らかさを保っていたという。 鰻の伝説といっても、野州の星宮・虚空蔵信仰の話(「太平山と鰻」など)とは異なるように思える。霞ヶ浦に沿っては、何々のお使いというのでない、このような鰻そのものに注目した伝説がまま見える。 それはかなり古い話とつながるような面も見える(「流権現と八つ目鰻」)。北関東で鰻、ということでは野州も常州も似たようなものに思えるかもしれないが、そういうわけではない。 ツイート