伊佐沼町は昔は沼だった。三四〇年前の見取り図によると、当該部に「居蛇沼」とある。そのころ塩沢村の居蛇沼に大蛇が住んでいたが、年経てついに龍と化し、ここから岳下村の古居蛇沼を往来し、付近の田を荒らした。
里人は恐れおののき困ったが、通りかかった雲水禅僧が秘法をもって鉄鉢の中にこの巨大な龍を封じ込めてしまった。これでまた村は米を作れるようになり、龍の鉄鉢は龍泉寺に納められた。これは今もあり、乾物のタツノオトシゴ様のものが入っているそうな。
龍泉寺は少し南に下った二伊滝にある。というより二本松城の一部だが(ちなみに二本松城のまたの名はまた「霞ヶ城」だが、これは霧隠城の類ではない)。現在もその鉄鉢があるのかどうかは不明。
龍を鉄鉢に封じたという点が目を引く話だが、ここではそれはさておき、その大蛇・龍がいた沼の名前「伊佐沼・居蛇沼」に注目して引いた。「いさ・いざ」という名の池沼にはまま竜蛇の伝説がつくものなのだ。
武州川越にも伊佐沼があり、沼黎明よりの大片貝がヌシだというが、周辺何かと竜蛇をにおわせる話のあるところでもある(「小池の大蛇」)。
また千葉県茂原市、上総二宮の橘神社の裏手には「いざ沼」という沼があって、ただならぬ蛇たちの棲家であったという(「いざ沼の蛇」)。
これらの沼の名が竜蛇の存在を予告するものであるのか否か、そういった問題があって、端的にこれを「居蛇沼」と書いたというこの二本松市の事例は貴重となる。