昔、沼の麓の村に吾平という若者がおり、評判の働き者であったが、むけの朔日の休みをおかしてまでも働きに出てしまった。白馬を連れて無行沼まで柴取りに行ったのだ。白馬に一駄の柴をつけた吾平が沼の水でのどを潤し、汗を拭くと、もう日は傾いていた。
そこで帰ろうとした吾平はふと水面を見て卒倒せんばかりに驚いた。水面に舟が浮かび、美しい女がその上から微笑みかけ、手招きをしているのだ。吾平はそのまま憑かれたように沼に入り、舟の女の手を取って膝まづき、その美しい顔を仰ぎ見た。
舟はそのまま滑るように沼の中程へ行き、美女も吾平もずぶずぶと水中に潜って帰ることはなかった。主人を失った白馬も、そのあとを追って沼に沈んだという。その夜、暴風雨があり、木は倒れ作物は荒らされて村も散々な被害にあったが、夜が明けてみると吾平がいないことで大騒ぎとなった。
そして、吾平も白馬も沼に入ってヌシの生贄となったことを知り、寄り合いを開くと、六月一日には沼に行かないこと、白馬は沼に近づけぬこと、沼に舟を浮かべぬことを決め、さらに沼の北に貴船神社を建立して沼の安全を祈願した。
無行沼(むぎょう沼とも、ゆきなし・ゆきなき沼とも)はかつての岩月町の奥のほうにあるが、このような沼の女が次々に男を引き込んだので行くものが無くなり、それで無行沼というそうな。
上の伝説では竜蛇だとはないが、この沼には田村将軍と契りを結んだ蛇女房の伝説もあり(「子安観音」)、そのようなイメージなのだろう。
さらには、織姫の伝説もあり、かつて沼は雄池と雌池で、男のヌシに女房が引かれたり、と様々な伝説がある。いずれにしても、竜蛇がヌシの沼ということだ。貴船神社は市史上に見えるが、現在の様子は不明。
ともあれ、引いた話では、これがむけの朔日と関係して語られている点が重要となる。この日には蛇のように人も脱皮する、というのがむけの朔日で、陸奥のほうでは蛇聟の話がその由来となっていたりもする(「蛇婿と脱殻節句の由来」)。
しかし、「だから水に引かれる」というのはこの日のこととして語られるものではない。それは、師走朔日の川浸り餅の由来などで語られることだ。むけの朔日と師走朔日は対極と意識して構成される節句ではないかという節があるのだが、無行沼のこの話はそういったところから参照されるものかもしれない。
また、そのような話の筋に振れる要因としては、土地の好みというのも当然ある。会津地方には、水の女が人の男を引き入れる、という話が多く好んで語られる(「古伝ヶ淵」)。そういったところも多分にあるだろう。