古伝ヶ淵

福島県河沼郡湯川村

昔、日橋川の浜崎の東に、古伝が淵という渦を巻く大淵があった。月夜の晩には裸体の美人が髪をすくといい、村人はあれはカッパだといって恐れ近寄らなかった。そこへ、水谷地村の働き者で評判の良い、次郎という若者がぶらりと寄ったことがあった。

すると、淵には噂にたがわず髪をすくこの世ならざる美女がおり、白い肌もあらわに次郎を手招きした。そして、自分は裸を人に見せたことはないが、次郎は誰にもこのことを言わないと信じられる人と思って現れたのだという。そして、明晩も来てくれるよう言って淵に消えた。

翌日の夜も次郎が淵へ行くと、裸の美女が髪をすいており、自分は八百年の間淵に住む河童であるが、独り者であること、次郎と夫婦になりたいことを告げた。次郎はいくらなんでも河童と夫婦になるとは、と悩んだが、美女はまったく人間のようであり美しく、その後七晩も逢瀬が続いた。

これを心配した周りの者は心配になり、ある晩次郎のあとをつけた。それで、淵に裸の美女と次郎が楽しく語らっているのを見て驚いたのだが、美女は人の気配に気づくと激高し、次郎は自分の亭主だ、夫婦の契りを交わしたのだから連れて行く、といって、次郎もろともに古伝が淵の渦に沈み、二人は戻らなかった。

水谷地村の人々は、あんないい若者が河童に見込まれるとは、と哀れみ、数日後、土を盛って石の宮を建て、次郎稲荷として河童とともに供養し、二度と禍ないよう神として祀った。

鈴木清美『湯川村の民話と伝説』より要約

浜崎には東殿の小字も見え、古伝も水場の殿地名、古殿だったのではないか。淵そのものの現状は不明だが、日橋川が大きく屈曲しているところが、話のところに見える。次郎稲荷は不明。

ともあれ、会津地域には、このような「男を引き込む水場の美女」の話が多く、ひとつの定型をなしている(途中から赤子を持たせる産女のような話に転じるものも多い)。その正体は、引いた話では河童というが、異形の水怪である河童のイメージではない。

重要なヒントとして、美女が「八百年淵にいる」といっている点は見逃せないだろうか。八百比丘尼にはそういった存在に転じる面がままある。この地方の庚申信仰との関連を考えておいたほうが良いかもしれない。