神明神社

索部:伊豆神社ノオト:2011.08.30

祭 神:天照皇太神
相 殿:八王子
    (式内:弖良命神社の論社か)
創 建:不詳(寛永十八年棟札)
例祭日:不明
社 殿:不明/西向
住 所:下田市中

『増訂 豆州志稿』など

神明神社
神明神社
フリー:画像使用H840

下田市中。「中(なか)」という土地の名である。中そのものは広いが、神明神社は下田駅から414号線を北上して行き、蓮台寺駅との中間くらいに鎮座されている。下田駅から、ないし蓮台寺駅から歩いても30分くらいだろう。

最古の寛永の棟札はかすれて読めないようだが、続く寛文十三年の棟札に「奉造立伊勢神命 大薩社宮繁昌処」とあり、以降神明宮である。『増訂 豆州志稿』では祭神不詳となっているが、天明八年の棟札に「天照皇太神尊像奉納」とあるので、基本情報部の祭神名はそれにならった(『下田市社寺棟札調査報告書 3』)。公的に主祭神がどういった表記で登録されているのかはわからない。

本殿覆殿
本殿覆殿
フリー:画像使用W840

すぐお隣に「徳蔵寺」というお寺があり、神明神社社地に隣接してもう墓地なので、あるいは徳蔵寺の管理されていた神社だったのかもしれない。拝殿も鈴ではなく鰐口が下がっていた。各種資料にも神明神社そのものに特記事項はない。だが、問題は「相殿」である。『増訂 豆州志稿』に次にようにある。

神明(中村)【増】村社神明神社祭神不詳、相殿八王子、【増】寛永十八年ノ札アリ相殿八王子ハ近年合祀ス蓋佐伎多麻比咩命ノ生座ル王子八柱ヲ祭ルナラム

『増訂 豆州志稿』より引用

と、いう次第なのだ。この点『南豆神祇誌』等は何も指摘していない。しかし、三嶋大神と佐伎多麻比咩命との間に生まれたという八柱の王子を祀る八王子社があったというなら大変なことである。『増訂 豆州志稿』の記事では「そうであった」のか「ではないかと考えられる」と言っているのか微妙な所だ。

私は未確認なのだけれど、式内:弖良命神社の論社として下田中の八王子神社と名があがるものもあり、あるいはそれかもしれない。弖良命は佐伎多麻比咩命の子である。さらに稲生沢川を遡り、蓮台寺川に分かれた方の蓮台寺に「天馬駒神社」という佐伎多麻比咩命を祀る小社が存在することは紹介した。そのように考えて行くと確かにありそうな話ではある(各神格については後半にまとめる)。

実は参拝時には以上の情報をまったく持たなく、ただ神明神社さんとして参拝したのだが、あるいは本殿覆殿脇に固まっていた祠のうち、ひと際がっちりと覆われていた小祠(下写真)がその八王子社であったのかもしれない。また、『下田市社寺棟札調査報告書 3』には「中字三月田299」に「八王子神社」の記録があり、ここ神明神社さんからは徒歩15分くらいであるらしい(未確認)。あるいは合祀前の元宮があるのかもしれない。

境内の祠
境内の祠
フリー:画像使用W840

参拝記

中の神明神社へは平成二十二年の十月二十三日に参拝している。胡乱な地図を手にしていて、神明神社さんがどこかよく分からなかったので聞いて回った。土地の人は「じんみょうさん」と発音していたような記憶がある(一般的には「しんめい神社」)。

社頭
社頭
フリー:画像使用H840

位置的にはちょうど下田寝姿山の「付け根」辺りになる。下写真は西本郷の辺りから撮ったものだが、この左端の方になるわけだ。

寝姿山
寝姿山
フリー:画像使用W840

さて、佐伎多麻比咩命(さきたまひめのみこと)とは三嶋大神の后神で、三宅島の東北の地住まう女神。伊豆三嶋神話をまとめた通称『三宅記』では、箱根の翁の娘三姉妹の末妹とされる。八柱の御子神をもうけたので「八王子の母御前」とも呼ばれる。

この八柱の御子神が……
 第一子「なご(南子)」
 第二子「かね(加彌)」
 第三子「やす(夜須)」
 第四子「てゐ(弖良)」
 第五子「しだゐ(志理太乎宜)」
 第六子「くらゐ(久良惠)」
 第七子「かたすげ(片菅)」
 第八子「へんず(波夜志)」
となる。すべての御子神の社が延喜式神名帳に記載されている。ちなみに第○子とは言っても『三宅記』によると「此ノ御腹ニ王子八人一度ニ産給ヘリ。」ということで八つ子である。

基本的にはこれらの御子神は皆三宅島に祀られていると考えられ、最有力論社もそちらとなるのだが、早い段階から分霊が伊豆半島側にも祀られていたとも考えられ、ここ神明さんに合祀されたという八王子社もあるいはそうであったかもしれない。

いずれ皆伊豆独自の神格なのだが、母神佐伎多麻比咩命は六国史の『文徳実録』に見え、嘉祥三年に従五位下を授けられた重要な神格である。あれこれ見て回っての感想としては伊古奈比咩命に継ぐ人気の女神、と言えなくもない。

そういった神々がここ下田稲生沢川沿いに祀られていたとなると、あるいは東伊豆町の片瀬白田(第七子「片菅」・第五子「志理太乎宜」に由来する地名とも)に匹敵するような考察が必要な土地かもしれないわけだ。

参拝時にはまったく分かっていなかったのだけれど、かなり大問題な所へ私は行っていた、ということである。

本殿への石段
本殿への石段
フリー:画像使用H840

神明神社(下田市中) 2011.08.30

伊豆神社ノオト:

参考:

下田行
下田行(神社巡り編)
2010.10.23日の下田市の神社巡りの模様。後半下田市街から中まで歩いております。
▶下田行