下田行

庫部:惰竜抄:twitterまとめ:2010.10.23

この日は伊豆下田市へ。まーいどおなじみとなりましてございます熱海発 6:30 の伊豆急。伊東から先へ行く列車としては始発だ。これに乗るためにはあたしゃあ最寄りのJR駅まで五時から延々歩かんと……(ry

そして一路下田市蓮台寺駅近辺の「諏訪神社」へ。小さな神社だけれどこの辺りの産土社格である。かつては上下社があったようだ。昔の小字も諏訪という。しかしちょっと変わった御社殿ですな。

境内に小さな土俵が。例祭の時に「カミノスモウ」という相撲が取られる。若衆から二人選抜され二戦する。そして必ず引き分けねばならぬのだ。まさに神事としての相撲である。

蓮台寺の温泉地の方へ進みまして「天馬駒神社」。これで「てんぱく神社」と読む。今日の隠れ第一目標だ。んが、もう駅前の地域マップからして「天白狗神社」とか書いてあって謎。神社直近の方にとっては「天馬駒」の「てんぱくさん」らしいが。
ナニユエ隠れ第一目標かというとここは三宅島の三嶋大神后神の三姉妹の末妹「八王子の母御前」である佐伎多麻比咩命(さきたまひめのみこと)を子宝の神さまとして祀っているのである。ほぉー、はぁーん、みたいな。
ちなみに「天白(てんぱく・てんばく)」信仰というのは全国規模である。実は河津町にも「天獏神社」という摩訶不思議な名前の神社があるはずなのだ。近くで聞いて回っても誰も知らなかったのだけれど(伊豆アンディランド付近…のはず)。

さらに奥の「天神神社」へ。もうこの階段である。まだ朝九時だっつのに(笑)。
ここは地名の蓮台寺の由来でもある幻の古刹蓮台寺が廃寺となる際、その裏山に大日堂だけ残した、というところ。国重文の大日如来像がある。この「天(日)の神を祀る」が「天神」となって菅原天神になった、という沿革のようだ。

稲生沢川の方へ戻って来まして「子神社」。温泉地へ入っていく際には見えたのだけれど参道入口が分からなかったのだ。時間も早過ぎて道を聞こうにも人も居ず、という事で戻って来まして参拝成功。もとは山神社・水神社系だったようだ。
これが参道へ通じる入口である。後ろのでかいのは小学校の体育館。なんとその敷地内を通るのだ。分からないというか「違うだろ」と思ってしまうのも無理もない経路。ていうか平日小学校やってる時にはカメラ持って入れねぇよなぁ(笑)。

そして南下しまして式内:竹麻神社三座論社の「竹麻神社」。んが、これは式内論社という研究者が居たので「八幡神社」だったものを「竹麻神社」にしてしまったという事らしい。
大体、この付近の地名「高馬」を「たかま」と読んでしまって式内:竹麻神社三座と読みが近いから、というだけの論調であって有力論社ではないのだけれど。そもそも「高馬」は地元の人の発音では「たこうま」「たこーま」である。字面だけ見て「やっちゃった」論系だろう。
しかしナンじゃこの鈴緒は。はじめて見た。ものとしてはそばがらのはいった枕のような構造である。ぼすんぼすん揺らしても鈴が鳴らない(笑)。

竹麻神社から稲生沢川の対岸の方にある「神明神社」。橋が全然ないので結構戻って南下し直さないと行けなかった。お隣が徳蔵寺というお寺で、その一部のような感じである。
御覧の通り鈴でなくて鰐口。神仏分離以前を彷彿とさせる神社という感じもしますな。結構神社の宝物に鰐口というケース多いですしね。しかし鈴が鳴らないと柏手を打ったもんかどうか迷いますな。
そして御本殿(覆殿)も、こんな石段の上に。これまたこれまでには見ないパタンですな。ところで「神明神社」は所々で呼び方が「しんめい」だったり「じんめい」だったり「じんみょう」だったりまちまちだ。正式には「しんめい」か。
この御本殿への石段が絶妙階段となっていた。光の加減か。ここ登ったんですよ。良いでしょう(笑)。
といったところでお昼時となりつつ下田市街へ突入するのでして…いや、市街はスルーで須崎の方へ行くのですが、後半は例によって明日。おまけ写真は下田の最・先・端!そして水平線上に見えるあの島はっ(笑)。

さて昨日の続き。伊豆下田市街へと入りまして「波布比咩命神社」。式内:波布比賣命神社の論社だけれど、無論「波布比咩」とは伊豆大島に鎮座される大后、羽分の大后のことなので、早くからその分霊を祀ったものだろうという事になっている。
大昔は下田港に浮かんだ中州だったそうで、船戸の神を祀っていたとも。ところでここの狛犬さんが稲取八幡の狛犬に良く似ている。総当たり式で神社を見てると「あ、同じだ」と思う事が良くある。
眼が抜けちゃってます獅子さん。こういうのはどうなんかね。文化財としてはそのままの方が良いのか?しかしそんな何かの指定を受けているというわけでもなさそうだし眼入れてあげても良さそうな。下田駅のすぐお隣だし。
開国にまつわる下田港のあれやこれやを華麗にスルーしまして須崎方面へ向うあたくし。柿崎という所に謎の金魚が。金魚じゃないのか(笑)。風車の…なんなんだ?なんとなく「スイミー」を思い出した。

弁天島(と言っても陸続き)の「ささげ弁天」。吉田松陰がここに潜んで黒船での密航を志すも失敗、という曰くの場所である。お隣には「下田龍神宮」もある。鷺島神社と各種資料にあるが、地元ではそんな表記は全くなかった。
鷺島神社ねぇ。下田港にある陸続きじゃない方の島は「ミサゴ島」と言うが、あるいは弁天島は昔は鷺島と言ったりもしたのだろうかしら。手前の鳥居のあるのがミサゴ島で、奥のおにぎりみたいなのが「犬走(いぬはし)島」。
弁天島はこんな地質。このような穴に吉田松陰は潜んだらしい。今は落石危険で潜るのは禁止。

そして柿崎の「三島神社」へ。前にあるバス停は「柿崎神社前」となっていた。ここは式内:多祁富許都久和氣命神社の論社だけれど三島神社そのものではなくて、合祀された「武峰(むとう)神社」がそれにあたるという。
合祀と言っても本殿内になのかしらね、境内社なのかしらね、と思いつつ見回ってみますと、まず目に入るこの大きな境内社。んが、これは「厄神」を祀る社である。
あとはこの小祠群だけだ。むぅ。武峰神社は境内社じゃないのかしら。それともこの小祠のどれかなのかしら。何といってもこの三島神社、そういった由来がありながらご神職が居ないのです。氏子さんたちの管理。
大体この三島神社自体明治の神社改めの際にわけの分からない事になっている。もともと住吉神社と三島神社が江戸期に合祀されたものなのだけれど、明治期に三島:大国主命・住吉:須佐之男命とかになっている。なんだそりゃ。

さて、そのままてくてくと須崎へ。港の中央見下ろしポジションに鎮座する「両神社」。写真のように路地奥で、ちょっと分かりにくい。歩いてくると大通りから林向こうに社殿がちらっと見えるので迷う事は無いけれど車だと分からないかも。
手水ガールのニューフェースだ!このイラストははじめて見た。鬼太郎のネコ娘ってこんな服じゃなかったっけ?
両神社は式内:佐伎多麻比咩命神社と穂都佐氣命神社の論社として名があがるが、神社自体にそのような記録は全くない。江戸期に神明宮としての記録があり、明治期に諾冉二柱を祭神とした。
ここの狛犬さんは優美だ。ユニークとかカッコイイとか迫力あるとかはあちこちあるが、「優美」と思う狛犬さんはあまりいない。
そしてこの彫刻。琴弾く男性と龍というのは見た事があったが、女性版ははじめて見た。しかも弁天さんみたいだ。この琴を弾く人と龍というのはなんか定番モチーフだったりするのです?
そしてあたくしはあれこれ須崎に分布している小社群を華麗にスルーしまして、突端の「恵比寿島」へ。「ぜったいある!ねぇわけねぇー!」と資料上に見えない「えびす神社」があるはずだと。そして…あるんだな、これが(笑)。

この「恵比寿神社」自体は江戸期の創建という記録だが、「恵比寿島」そのものがどうもとんでもないところのようだ。
今、白浜神社に浜で火を焚き海上の神々(伊豆七島)を祀る火達(ひたち)祭があるが、同様の祭祀の行なわれていた跡がこの恵比寿島の発掘調査で見つかっている。同様の跡は田牛でも見つかっているそうなのだ。
古代に火達祭を行なう三嶋信仰の要所が点在していた。これは最大級に重要だ。この恵比寿島に来て、神社脇のその記事を読むまで、あたしはそんな祭祀跡が点在しているとは思ってもいなかった。ていうか恵比寿神社があること自体「勘」である。これは「えべっさん」の御利益だろう(笑)。
そんな驚き桃の木の状態で恵比寿島から見たのが昨日最後にあげた「神子元島」である。「みこもと島」とよむ。神の子の元地という名の島。なーんという出来過ぎ展開。
という昨日の次第でした。まだ時間は早かったけれど、さらなる欲ばり目的「下田図書館」というのがあったので、須崎の他の神社はまたにしまして一時間に一本のバスで下田市街へ。ま、その図書館で昨日冒頭に嘆いたように下田の神社記録が棟札一覧しかない事が判明するのだけれどな(笑)。

補遺:

下田行 2010.10.23

惰竜抄:

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