天馬駒神社

索部:伊豆神社ノオト:2011.07.25

祭 神:佐伎多麻比咩命
創 建:不詳(寛延三年棟札)
例祭日:不明
社 殿:不明/南(やや東)向
住 所:下田市蓮台寺

『下田市社寺棟札調査報告書』など

天馬駒神社
天馬駒神社
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下田から稲梓川をのぼって行くと、途中蓮台寺川が西から流入する。その蓮台寺川沿いにささやかな温泉地が古くから開けており、そこに天馬駒神社は鎮座されている。天馬駒は「てんぱく」と読み、伊東線蓮台寺駅の観光案内板等には天白狗神社と記述されていたりするが、同じ神社のことだ。後に述べるように天白信仰の流入と見られるので「天白狗」などと書いたのだろうが(出典不明)、神社の棟札を遡っても、また古い地誌(『豆州志稿』)でもここは「天馬駒」の記述である。もっとも「天馬駒」の名となったのは明治に入ってのことだが。

江戸時代の棟札では、寛延三年(1750)から明治三年まで一貫してここは「田畠大明神」となっている。そして御祭神の名が唯一安政の棟札に書かれてるが、これが「佐伎多麻比咩命御地座」なのだ。

佐伎多麻比咩命(さきたまひめのみこと)とは、三宅島にいます三嶋大神の后神の一柱で、仁和二年(886)までに叙位を受けた伊豆諸島の神々の一柱でもある。大変な神格なのだ。本地は式内:佐伎多麻比咩命神社の最有力論社である三宅島の御笏神社。実は下田にも式内:佐伎多麻比咩命神社の論社が二社あり、相玉の波夜多麻和氣命神社と須崎の両神社がそうなのだが、どちらも佐伎多麻比咩命を祀っていたという具体的な記録があるわけではない。

その佐伎多麻比咩命がここ天馬駒神社という小さなお社に祀られてきたのである。私の知る限り伊豆半島側で佐伎多麻比咩命を主祭神とする神社はここだけである。しかも安政の棟札には記録があるのだ。全く知名度はない神社なのだが、私はとても貴重な神社であると思っている。

社殿裏の多孔石
社殿裏の多孔石
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佐伎多麻比咩命は三嶋大神との間に八柱の御子神をもうけたとされ、「八王子の母御前」のまたの名がある。そして、このことを受けてここ天馬駒神社は「安産の神」であることを謳っている。社殿裏には上写真のようなおそらくは火山岩であろう多孔石を祀っており、この石が御神体、ということになっているのだろう。

いずれにしても下田から稲梓川を遡りながら周辺「三嶋大神の眷属」を祀っている社が散見されるが、もともと海島の信仰であったものが川沿いに持ち込まれて行く様が見て取れる。先の相玉の波夜多麻和氣命神社や高馬の八幡神社、遡りきった河津町逆川の三島神社(布佐乎宜命を祀る)が有名だが、私は蓮台寺駅近くの河内八幡神社(多祁美加々命を祀っていたという)と、ここ蓮台寺の天馬駒神社を加えたい。

御神木
御神木
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しかし、ここ天馬駒神社は静岡県神社庁のリストにもない単立の小祠で、その面目がいつまで保たれるのかは分からない。河内の八幡神社はもう廃絶寸前だったが、それよりはましという程度かもしれない。蓮台寺温泉が町おこしに力を入れたらまるで別の何かになってしまうかもしれない。

特に下田市は総合的な神社に関するまとめ資料がない。なるべく近い将来に『下田神社誌』に相当する資料がまとめられることが望まれる。私がそれを待っているわけにはいかないが。

境内社の稲荷
境内社の稲荷
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参拝記

天馬駒神社へは平成二十二年の十月二十三日に参拝している。伊東線を蓮台寺駅で降りて、下田の先、須崎まで歩く、という行程だった。

神社登り口
神社登り口
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蓮台寺温泉はよく整備された隠れ里のような良い温泉町だが、天馬駒神社さんは少し奥まったところにあるので「何となく行ってみよう」では行きつけないかもしれない。上写真右手の看板に「天馬駒神社・入口・安産の神」と記されているが、これがなかったら行って良い道なのかどうかも分からない感じである(コンクリの階段が参道)。

神社巡りをされてる方々の記録でもここが出る事はまずなく、唯一「神社探訪・狛犬見聞録」様が訪れておられた。ここに「この社はこのあたり最古の神社で……」と書かれているのを読んでいたので、地元の方にも聞いてみたのだが、よく分からなかった。古いのは古いのだが、すぐ近くには古刹「蓮台寺(廃寺)」そのものの末である天神さんもあり、「みんな古いんだけどねぇ」という話になってしまった(笑)。

さて、明確なことが何ひとつ分からないので「天馬駒(てんぱく)」に関することは上の本文では語らなかったが、こちらで補足しておこう。もっとも「天白信仰」自体がまだ十分に研究されていない代物な上に私もよく分かっていないので、Wikipediaの概説等を参照のこと

このうち「安産信仰」「性神信仰」の側面があると書かれているが、ここ蓮台寺の天馬駒さんはそれにあたるだろう。東伊豆には賀茂郡河津町に「天獏神社」という同系と思われる神社がある(未発見)はずなのだが、河津の方もその近くの縄地に式内論社の子安神社を見るので、あるいは同じような信仰なのかもしれない。運び手としては伊豆山の修験が考えられるだろう。熱海伊豆山神社はかつて権現時代修験の一大勢力だったが、伊豆半島を一周する「伊豆峯次第」というものがあった。この際その経路の寺社に札を収めて行ったので、その記録にある寺社は「伊豆山納札」などと言われる。その修験者が持ち込んだ信仰である可能性が高いだろう。まだ未着手だが「伊豆峯次第」の残されている資料を読み進めたら何か分かって来るかもしれない。

いずれにしてもここ蓮台寺の天馬駒神社は「てんぱく」となったのが棟札上は明治の事とはいえ、地元の方々のお話を聞くとやはり「おてんぱくさん」なのであり、安産の神というのも「おてんぱくさんだから」なのであり、佐伎多麻比咩命という点は「なんかそうらしいねぇ」くらいである。子安の信仰は河津から南伊豆にかけてまま三嶋信仰の后神(姫神)と連絡しているが、それをまとめる上で天白信仰がどう影響を与えているのか、という点にはそれなりの見解が必要だろう。これからの課題である。

天馬駒神社(下田市蓮台寺) 2011.07.25

伊豆神社ノオト:

参考:

下田行
下田行(神社巡り編)
2010.10.23日の下田市の神社巡りの模様。この蓮台寺駅から下田先端の須崎の方まで。
▶下田行

八幡神社(下田市河内)
八幡神社(下田市河内)
蓮台寺駅近くにある、同じく三嶋大神の眷属を祀っていたとされる八幡神社(旧・王子社)はこちら。天馬駒さんとともに知る人の少ない古社である。
▶八幡神社(下田市河内)