両神社

索部:伊豆神社ノオト:2011.08.24

祭 神:伊弉諾命
    伊弉冉命
創 建:不詳(延宝八年棟札)
    式内:佐伎多麻比咩命神社(論社)
    式内:穂都佐氣命神社(論社)
例祭日:不明
社 殿:入母屋造/南東向
住 所:下田市須崎

『南豆神祇誌』など

両神社
両神社
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下田市須崎の港町の中心に鎮座される。須崎へは下田駅からバスも通っている。ただし、港脇のバス停からは細い路地を通った先となるので、その部分の細かい地図は頭に入れておかないと「入口不明」になってしまうかもしれない。社地の北東側を走るバス道路沿いに神社の標識が立っているのだが、その標識から社地へは道は通じていない。いずれ港まで下ってから参道へ入ることになる。

路地奥に鳥居
路地奥に鳥居
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式内:佐伎多麻比咩命神社と穂都佐氣命神社の論社として名があがるが、どちらも最有力社は別にあり、ここ両神社自体にはそのような記録・口承はない。『南豆神祇誌』によると『伊豆峯記』に三島明神とされていたのだという。『伊豆峯記』は『伊豆峯次第』のことだろうか。『伊豆峯次第』なら江戸期の熱海伊豆山権現の修験者が伊豆半島を一周しながら各地の寺社に札を納めて回った記録のことである。

この辺り、もっとも重要な情報を記載しているのは『増訂 豆州志稿』で、以下のようにある。

両社明神(須崎村)【増】村社両神社祭神二座神名不詳 ○夫婦ノ宮ト称ス伊豆峰記ニハ三島明神トス祠域ニ薬師堂アレバ是トス可シ雷槌ノ大ナル三アリ(【増】今二個存ス長一尺五六寸宛) 旧ノ神主也ト云……

秋山章・萩原正平『増訂 豆州志稿』より引用

「雷槌ノ大ナル三」というのが興味深くもなんだかわからないが、何故ここが伊豆三島信仰の社であり式内論社であると考えられたかは以上で大体わかるだろう(私見は後述)。

創建時期に関して、現存するもっとも古い棟札が延宝八年のものなのだが、造営箇所等の記載がないので創建時期は不明である。棟札関連のことを続けて述べておくと、元禄十年の棟札に「薬師堂」とあり、『増訂 豆州志稿』でもこれを三島明神と考察しているわけだ(伊豆三島神の本地仏が薬師如来)。神格が記載されるのは享保十年の棟札以降で、「伊勢神明大神宮」とある。明治に入って伊弉諾命・伊弉冉命を御祭神とする両神社(両社大神宮)と名乗った(以上棟札資料は『下田市社寺棟札調査報告書 3』より)。

社頭
「両社大神宮」の額
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江戸時代の後半百年間は要するに神明神社だった、ということになるだろうか。『南豆神祇誌』は「恐らくは、紀州より海路の衝にあたるを以て、熊野神社を勧請して船戸明神(神階帳)としたものではあるまいか」と考察しているが、これも特に根拠はない。

境内社
境内社
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境内社は石祠が本社殿向って右手に一祠ある。『増訂 豆州志稿』に「境内社二、神明八幡」とあり、「玄松子の記憶」様方では加えて「竜神社」をあげておられる(『平成祭データ』)。

現在ある石祠がどれにあたるかわからないが、これが竜神社……というよりもおそらく東伊豆の港町での定番「竜宮神社(リューゴンサン)」なのだと思うが……なら大変面白いことになる(後述)。しかし、参拝時にはこの祠が何を意味するのか思い至らず、確認して来なかったのが悔やまれる。

参拝記

須崎両神社へは平成二十二年の十月二十三日に参拝している。蓮台寺から下田市街さらに須崎の先端まで歩いていった。下田湾の賑やかな部分を過ぎて須崎に向う道中はほぼ「何もない」ので隔絶した港町へ着いた、という感じがした。須崎は下田でも大変「漁師町」の気風を残す所で、たくさん小さなお社がある。網元ごとに持っていた神さまを今も祀っているのだ。この日は両神社と恵比寿島の恵比寿神社さんだけの参拝となったが、いずれ須崎全体の神祀りの次第を訪ねようと思っている。

須崎の海
須崎の海
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さて、ここ両神社が古代の伊豆三嶋信仰にまつわる地なのかどうかというと、上に述べたように確たる記録・伝承などはないのだけれど、私はそうであったに相違ないと考えている。まず、社殿の向きがほぼ確実に新島・三宅島を捉えていることが注目される(特に新島か)。伊豆半島東部の三嶋信仰に係る古社は、本社となる伊豆諸島を向いて建てられていることが多い。実際、三嶋大神は神津島ないし三宅島から来られたので、三島神社はそちらを向いて建てられるものだ、と口承しているところもある。

社殿の向き
社殿の向き
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そして、須崎の先端には恵比寿島がある。この上には「恵比寿神社」が鎮座するのでいずれ詳しくはそちらで述べるが、ここ恵比寿島からは火祭りの痕跡が発掘されている。今、白濱神社(伊古奈比咩命神社)に浜で火を焚き海上の神々(伊豆七島)を祀る火達(ひたち)祭があるが、同様の祭祀の行なわれていた跡がこの恵比寿島にもあるのだ。

恵比寿島
恵比寿島
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須崎全体の鎮守が両神社であることを考えると、恵比寿島の火祭りの主宰社が両神社(ないしその前身)であったと考えても差支えなかろう。私は式内社のいずれに該当するか、という点はさて置くとしても、『増訂 豆州志稿』に見る「夫婦ノ宮」が伊豆三嶋大神とその后神であり、下って諾冉神となった、という筋書きで概ね良いのじゃないかと考えている。

竜と姫
竜と姫
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もう一点。上で境内社が竜宮神社だったら……と書いたが、これに関して。

はたして伊豆半島・伊豆諸島の三嶋信仰が龍神信仰なのかどうかというのは大変難しい問題なのだが、少なくとも伊豆半島東側の漁師たちは(西相模に至るまで)、揃って「リューゴンサン(竜宮神社)」という社を祀る。そして、このリューゴンサンとは何なのかという点に関して、唯一ここ須崎で具体的な話が記録されている。

下田市須崎:竜宮神社:リューゴンサンは海の彼方から蛇の姿でやってきたと伝えている。

『静岡県史 別編1 民俗文化史』より引用

県史の伊豆の漂着神にまつわる一覧表の僅か一項目なのだけれど、これは重要な記録である。19項目あげられている一覧の中でも「竜蛇」がやってきた、というものはここだけだ。

今、須崎の地図には竜宮神社の名は見えない(「海神社」はあるが)。もし両神社の石祠がそうなら、須崎にやってきた「リューゴンサン」はここに祀られているということになる。それが両神社の古い姿だったら……という期待があるのである。

両神社(下田市須崎) 2011.08.24

伊豆神社ノオト:

参考:

下田行
下田行(神社巡り編)
2010.10.23日の下田市の神社巡りの模様。後半下田市街から須崎まで歩いております。
▶下田行