姉妹の蛇身

門部:日本の竜蛇:四国:2012.01.12

場所:高知県安芸郡安田町
収録されているシリーズ:
『日本の伝説22 土佐の伝説』(角川書店):「姉妹の蛇身」
タグ:女人蛇体/姉妹のヌシ/入水する娘/竜蛇と長者/竜蛇と〝左〟


伝説の場所
ロード:Googleマップ

沼淵に入りそのヌシとなる娘の話には、それが「姉妹」であるという話の型がある。おそらくこれは先へ行って大変重要なモチーフとして取り上げられることになると思っているが、今回はそのとりかかりとして土佐の姉妹の話を紹介しよう。

逆瀬釜(釜ヶ谷の滝)
逆瀬釜(釜ヶ谷の滝)
リファレンス:四国の滝めぐり画像使用

姉妹の蛇身:要約
昔、高知城下に万々屋という豪商があったが、主人は貪欲無比の男で、大小軽重の二枡二秤を使って人々欺き、暴利をせしめていた。その男には美人の姉妹娘がいた。姉妹は常に水浴びを好み、夜毎いずれの川に通い、毎日新しく下ろしていた草履が翌朝には引緒のみととなっていた。姉妹は父の強欲の報いで蛇性のものに生まれていたのだ。
姉妹の身体は徐々に蛇体と変じ、遂に父母は姉妹にそれぞれ下男を連れさせ、家を出した。姉は讃岐の満多の池に至り水に入った。妹は安芸郡佐喜浜村の池が谷という釜(淵)へ行ったが、心にかなったところではなく、戻ると安田川の奥にある逆瀬釜という淵に籠り、遂に姿を変えて水に入った。当時の小唄に「姉は讃岐の満多の池に妹は安田の逆瀬釜」とうたわれたという。

角川書店『日本の伝説22 土佐の伝説』より要約

「満多の池」とは満濃池のことである。同書には土佐のこの辺りは淵ごとにこのような伝承がある、ということが指摘されており、周辺派生話が大変多いようだ。その中から興味深いモチーフを持つものをいくつかあげておこう。まず、家を出た後の姉妹を泊めた宿に「見るなの禁」と「家の没落」のモチーフが語られるものあがある。

姉妹は、安田の町へたどりつき、町の中の高徳屋(吉田屋とも)という宿屋に一夜の宿を求め、その夜主人をよんで「わたしどもの寝姿は、たとえどんなことがございましょうともごらんくださいますな」と、かたくのぞき見することを禁じた。
我慢できずに禁を破った主人が真夜中を待ってひそかにその寝室をのぞくと、二匹の大蛇が寝ていた。翌朝、正体を知られた姉妹の姉は「この家は今後けっして栄えることはございますまい」と言い残し去った。その後高徳屋が栄えることはなかった。

角川書店『日本の伝説22 土佐の伝説』より要約

このような具合だ。また、何を言っているのかよく分からないのだが、「左」というキーワードが続くものがある。安芸郡の山村北川村に伝わる類話では、「母親が娘の頭髪を切ってやると血がしたたり、これには左利きの杣に切ってもらうとなおるといわれたが、左利きの杣を見つけることができず、きょうだいで家を出て……」となる。そして、妹は安田の逆瀬川へ向うのだが、「淵には渦が巻いていた。娘はこの渦が左巻きなら良いのにといいながら蛇体となってはいった」というのだ。蛇性の娘が髪結いなどに際して頭から血を流すという話はわりと語られる。「大浪の池」でもそうだった。

しかし「左利きの杣」ならば、というのは何だろう。また、渦に関しては特殊な注連縄などが逆巻き(左巻き)に綯われることと通じるところがあるのかもしれない。もっとも「竜神の刀」の鬼神太夫も「左頬に大きな火傷の痕のある若者」と描かれるので、単に人外であることの印なのかもしれないが。

さて、さらには周辺「機織淵」の伝説が多く、そちらとの連絡もいずれ扱いたいが、今回は「姉妹」であるという点に注目したい。この型は全国に分布し、A沼とB淵のヌシは実は姉妹なのだ、という伝説となる。この土佐の例では所謂「親の因果が子に祟り」の型なのだが、出家した挙げ句水神となりとある淵におさまった父親のあとを追った姉妹が……という型もあり、必ずしも因業譚というわけではない。

私は「入水する娘」という伝説は本来最強の巫女の出現を語ったものだったのではないかと考えるのだが、姉妹の型で語られる入水・女人蛇体の伝説もまたその方向へ連絡させておきたい。

遡って神話にも語られる竜女の姉妹といえば豊玉姫と玉依姫である。記紀神話には特に「姉妹」であるという点が強調された記述はないが、南九州に伝わる豊玉姫・玉依姫伝説は「姉妹」という点を大変強調するものとなっている。二つの土地に姉と妹が分かれ鎮まる、というあたりが重要だ(この辺りは早池峰山の三姉妹の話などもイメージされたい)。

知覧町には、豊玉姫と玉依姫に関する地名伝説が多い。姉の豊玉姫は川辺を、妹の玉依姫は知覧町を領することになって、開聞から連れ立って来た。加治佐と枦場の間の峠で休憩し、清水に浸した櫛で鬢を直したので、そこを鬢水峠という。
飯野は二人が昼食をとった所、飯野と塗木の間には昔老松があって宮下(ぐいげ)松といった。二人が行列を整えた所という。今は小さな道のかたわらに碑があるのみである。またこの近くの雑草におおわれた小さな川で二人の干飯にする米を洗ったので白い水が出るようになり、ここを白水と呼ぶ。
二人はやがて西元に着いて泊まった。玉依姫は川辺のほうに美田が多いのを見て、朝、姉よりも早く起きて川辺の方へ行ってしまった。豊玉姫はしかたなく知覧を領することになった。それでこのあたりを取違といい、人名にもとられている。

角川書店『日本の伝説11 鹿児島の伝説』より引用

このような具合だ。姉妹のヌシの話の原型はこの辺りにあると思う。土佐の話は因業によって蛇体となるという暗い印象だが、その根本には豊玉姫と玉依姫に示される「姉妹の土地(水)の神(ヌシ)」あるいはそこに仕えた巫女というイメージが横たわっているのではないか。

この事は娘の入水譚が時として暴虐なその淵の水神に娘が「取って代わる」型をを見てゆくことでより明らかになっていくとだろう。また、姉妹のヌシの話は「沼の主の文使い」の伝説とも関係してゆくと思うのだが、それらの話はまた別に譲ろう。

memo

最初にあげた話で妹の方が最終的に鎮まる逆瀬釜には淵の蛇を祭る島石神社という祠があり、雨乞いの信仰があるという(『安田文化史』)。滝の情報などはあるのだが、神社の存在は確認できていない(詳細はわからないがブログ記事だと「Ryomaのいごっそ日記」方に紹介がある)。

また、物部川上流となる香美郡香北町美良布にも同系の話が伝わるのだが、その北方、支流日ノ御子川をさかのぼること約二キロのところの和光淵が妹娘の鎮まった淵とされ、そちらには淵を祀る「海津見神社(和光淵神社)」が鎮座されている。

「海津見神社(和光淵神社)」
 (webサイト「高知県香美市香北町お宮、お寺、お堂をめ ぐ る 」)

海津見神社(和光淵神社)
海津見神社(和光淵神社)
リファレンス:お宮、お寺、お堂をめぐる画像使用

姉妹の蛇身 2012.01.12

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