大浪の池

門部:日本の竜蛇:九州・沖縄:2012.01.09

場所:鹿児島県霧島市:大浪池
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系14』(みずうみ書房):「大浪の池」
『日本の民話22 肥後・薩摩・大隅篇』(未来社):「蛇になった娘」
タグ:竜蛇を祖神とする一族/入水する娘/女人蛇体

※2012.1.6現在
霧島新燃岳周辺は「噴火警戒レベル3、入山規制」の状態です。


伝説の場所
ロード:Googleマップ

入水する娘という話も竜蛇に見初められたのだとか、日照りや大雨を治めるために水神に捧げるのだとか、悲恋の末だとか様々な理由が語られるものだが、時にその理由もよく分からず水に入ってしまう娘がいる。あたかも「もと居たところに戻る」かのように。

この話型は、竜蛇が自分たちの祖神である、という記憶に非常に近い所にあるものではないか。南薩にはその昔、神山、霧島山の池へと向った娘がいたという。

大浪の池:要約
昔、志布志の麓に床次(とこなみ)という裕福な家があった。しかし夫婦には子供がなく、妻はいつも竜神に子授けを祈っていた。やがて祈りが通じたのか女の子が生まれ、お浪と名づけられ育てられた。
お浪は評判となるほど美しい娘に成長したが、不思議なことに履いていた草履が翌朝にはすっかり濡れていたり、髪を梳くと頭皮から血が流れたりした。そして年頃となり婿選びをするが、お浪は取り合わないどころか、病に伏せるようになってしまう。
そんな中、お浪は父親に霧島山へ行きたいと執拗にせがむようにる。あまりにせがむので両親はお浪を連れて霧島山の山上の池へ行った。すると、突然お浪はその池に飛び込んで沈んでしまう。驚いた両親がお浪の名を呼び続けると池から大蛇が姿を現し、別れを告げた。
以来、霧島山の池は「お浪の池」と呼ばれるようになり、いつしか「大浪の池」というようになった。

みずうみ書房『日本伝説大系14』より要約

大浪池
大浪池
レンタル:Panoramio画像使用

『日本伝説大系』には類話が多く収録されているので、気なる点を追記して行こう。霧島市の方で語られるものでは、そもそもお浪は霧島山の池の竜神の化身であり、両親の願いに応えていっとき人の娘となったのだ、という話となっている。

また、曽於市の方、親子が霧島山へ向う途中立ち寄った財部では、その際お浪の「髷が訳もなく解けたので出立を見送るように言った」というモチーフが共通して語られる。財部にはその時の着物や鏡が家宝として伝わっていたという。

宮城県西都市の方では穂北郷の豪族仁右衛門の娘お浪の話であるとされ、霧島の池の白蛇が夫婦の願いに応じて娘となっていたのだと語られる。また、お浪が夜に「白馬に姿を変えて」姿を消すのを見られ、一緒に暮らすわけには行かなくなり……という筋となっている。

さらに、霧島山の池のことと限らず、周辺様々な土地の様々な池に同様の話が伝わっているのだが、中でも薩摩半島南端の指宿市、旧揖宿郡開聞町の類話が大変重要なのであげておこう。これは未来社『日本の民話22 肥後・薩摩・大隅篇』にある南薩の「蛇になった娘」と同じ話と思われる。

上野のある家に七歳になっても歩けない子がいた。ある日水汲みに行きたいとせがむので、後をつけて行くと、しっかりした足どりで池の方へ行った。そしてその頭に七又の角が生えた姿を水鏡に写していた。
驚いた母親が「お前のような奴は私の子ではない。もう二度と家に帰って来るな」というと、その子は池の中へ飛び込み、二度と姿を現すことはなかったという。(『開聞町郷土誌』)

みずうみ書房『日本伝説大系14』より要約

何が重要なのかというと「七歳になっても歩けない子」という点だ。鹿児島には諾冉神のはじめの子・ヒルコは足のたたない美しい〝姫〟であったという「蛭子姫」の伝説と、鹿の口から生まれた足の悪い(蹄足の)「大宮姫」の伝説がある。

そして、「跛行」というのは竜蛇が人の形をとった際に見せる世界的に共通するコードでもあるのだ。もしかしたら南九州の「足なえの姫」たちの伝説はその根底が繋がっているのかもしれない。旧揖宿郡開聞町の類話はそこへのハンドルを持っている。

さて、これらの話が展開する薩摩の北の日向には祖母山という山がある。祖母嶽明神は大蛇であり、人の娘との間に子をもうけた。この子が緒方氏の祖の「皹(あかがり)太夫」である。くわしくは「あかぎれ童子」の稿で述べるが、全国でも指折りの蛇祖伝説を持つ一族の出た土地なのだ。

緒方氏や、他の蛇祖伝説を持つ一族には、その筋に生まれる男子には時として鱗を持つ者がある(皹もこのこと)という話が必ずある。私は「お浪」のような娘の話は、これに対応する女子の話なのではないかと考えている。

すなわち、「先祖返りした祖神の特徴を強く持った娘が時に生まれる」という次第が本来の話だったのではないか、ということだ。そしてそれは竜蛇神に仕える最強の巫女の誕生を意味したはずである。

このような古層が、蛇祖伝説の伝承が断絶した土地の「入水する娘」の話にも混在していると思う。この他にも多くの「入水する娘」の話を全国に見ることになるが、それは単なる人身御供譚ではない。もっと奥がある、と私は思う。

memo

大浪の池 2012.01.09

九州・沖縄地方: