蟹満寺

門部:日本の竜蛇:近畿:2012.01.22

場所:京都府木津川市山城町
収録されているシリーズ:
『日本の伝説1 京都の伝説』(角川書店):「蟹満寺」
タグ:蛇婿入・蟹報恩


伝説の場所
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大蛇が人の男に化けて人の娘を嫁をとろうとする「蛇婿入」の話というのは実は日本の民話の中でもべらぼうに多い。概要はこちら「蛇婿入り・類型」を参照していただきたい。そして、そのサブタイプの型として「蟹報恩型」という話がある。要は「蟹の恩返し」だ。伝説は正確にはこのような類型に分けては見ないが、事実上以下の「蟹満寺縁起」が蛇婿入・蟹報恩型の典型話である。

蟹満寺
蟹満寺
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むかし、山代の久世の郡に十二になる頃には法華経全巻を読誦してしまう程の大変信心深い娘がいた。春先のこと、娘は出かけた先で村の子供が縄の先に蟹を結びつけているのに出会った。聞くとその蟹を食べるのだという。あわれに思った娘はご馳走と引き換えにその蟹を譲り受け逃がしてやった。
その頃、娘の父親が畑で蛇が蛙を呑もうとする所を見かけた。あわれに思った父は、蛙を許してくれるなら家の娘をお前の嫁にやっても良いぞ、と口走ってしまった。すると蛇は蛙を吐き出し、消えていった。まさか言葉がわかったのかと父親は不安になった。
果たして父の不安は的中し、夜中に五位の装束に身を整えた若い男がやって来た。そして、約束通り娘をもらいに来たと言う。父は三日待ってくれるように頼み、翌日から娘を守るための堅固な六角堂を庭先に建てた。そして約束の日の夜中。再び蛇が若者に化けてやって来た。
しかし、呼べど叩けど六角堂の中の娘は出てこない、怒った男は大蛇の姿となると堂に巻きつき締め上げた。月夜は見る間に大嵐となり、父親達は生きた心地もしなかった。やがて夜明け前、それまでの雷雨を越える大音響が響き、もはやこれまでと皆が諦めた時、急に嵐が止み、静まりかえった。
外へ飛び出した皆が見たのは、血にまみれて死んでいる大蛇と、その大蛇に噛み付いて死んでいる何千、何万という蟹たちの姿だった。娘が助けてやった蟹が眷属を引き連れて恩返しにと大蛇に群がったのだ。おかげで娘は無事にこの夜を乗り切ることができた。
父親たちは数えきれない程の蟹の死骸を丁寧に葬り、蛇の塚も造り、供養を続けるための寺を建てた。これが蟹満寺のはじまりである。

角川書店『日本の伝説1 京都の伝説』より要約

蟹満寺は奈良時代の創建と推定される古刹である。この縁起も古くから有名で、『今昔物語集』にその記述がある。また、つい先年、川崎大師に江戸時代初期のものと推定される『蟹満寺縁起絵巻』が所蔵されていたことが分かり、公開された。

『蟹満寺縁起絵巻』
『蟹満寺縁起絵巻』
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少し注意なのだが、『日本霊異記』にすでに蟹満寺の話がある、という書き方をしているものがあるのだが、『日本霊異記』にあるのは蛇婿入・蟹報恩型の説話ではあるが、蟹満寺の縁起というわけではない。

しかしこのことから、そう思えば先に既にこの説話の型があり、蟹満寺が縁起伝説として取り入れた、ということにはなるだろうか。ただし、蟹満寺も無論有名なのであり、その縁起そのものの影響が全国の蛇婿入・蟹報恩型の分布に与えている影響というのを無視して話を進めるわけにはいかないだろう。

例えば秋田県由利本荘市に「蟹沼」という同系ながら蟹が娘の成長に密接に関わる重要な話があるのだが、南に20km強にある「蚶満寺」が、蟹満寺とほぼ同じ伝説を伝えており、そこに影響があったかどうかは無視できない。

さて、その辺りはともかく「大蛇を蟹が討伐する」というモチーフは何を意味するだろうか。これは大変に難しい問題であり、現状よく分からない。同系の伝説を拾いつつ、「何を考えれば良いのかを考える」という段階だ。

まず、類似したサブタイプとして「蛙報恩」といって蛙が大蛇を討つ、ないし討つための知恵を娘に授ける、ないし討伐後の娘を幸せに導く(「婆皮」)という話がある。水の怪である大蛇を同じ水棲の生き物が討つという報恩型は概ねこの蟹か蛙かのどちらかであり、その比較は重要となるだろう。

また、そもそも蟹を神格化していた氏族・役職の動向というのも考えねばならない。掃守(かもり・蟹守)連などがそうだと予想されるが、これは「榛名湖伝説」の方で述べよう。

蟹満寺近辺で具体的に問題になる歴史と氏族と言えば綺幡(蟹幡)の織物文化と秦氏である。蟹満寺すぐ隣に「綺原神社(式内:綺原座健伊那太比売神社)」が鎮座される。綺は平地に細かな模様の浮く高級な薄い絹織物である。これを「かにはた」とも読み「蟹幡」とも書かれる。故に一帯は蟹幡郷だった。

「綺原神社」(webサイト「神社探訪・狛犬見聞録」)
webサイト「神社探訪・狛犬見聞録」サイトトップ

綺原神社
綺原神社
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さらに西に8kmほどに「朱智神社」(式内)が鎮座される。主祭神に神功皇后の祖父と伝える加邇米雷(かにめいかずち)王を祀る。この名も綺幡・蟹幡に由来すると考えられるので、蟹満寺の伝説に大きく関係する重要社だろう。

「朱智神社」(webサイト「神名備」)

綺原神社
朱智神社
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蟹幡は生き物の蟹とは関係ないともされるが、蟹満寺縁起が蟹幡郷の名と文化と無関係などということはあるまい。そもそも平安貴族は蟹の模様をあしらった「蟹取小袖」という産着を愛用したのだ。絹織物と蟹の取り合わせはもとより重要なのである。

このあたりの連絡には細かな調査が必要となるだろう。また、その組み合わせが他地域の「蟹伝承」に影響するかどうかも重要である。この様に竜蛇と蟹の関係では「何を調べていかないといけないのか」を考える起点の一つとして、縁起だけでなくその周辺込みでこの蟹満寺は重要な所なのだ。

memo

蟹満寺 2012.01.22

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