榛名湖伝説

門部:日本の竜蛇:関東:2012.01.22

場所:群馬県吾妻郡:榛名湖
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系4』(みずうみ書房):「榛名湖の木部姫」
『日本伝説大系4』(みずうみ書房):「善導寺の開山」
タグ:女人蛇体/竜蛇と蟹


伝説の場所
ロード:Googleマップ

竜蛇と蟹の関係を考える上で大変重要となる伝説が上州榛名湖にある。『大系』上では「榛名湖の木部姫」と「善導寺の開山」の二つの表題話からなるのだが、ここで一括して扱うのでタイトルを「榛名湖伝説」とした。

榛名湖の木部姫:要約
いつのことか分からないが、木部の殿様の娘に木部姫という美しい姫がいた。姫が十七八歳になったある日、北方に秀でる榛名の峰に参詣したいと言う。殿様は許し、駕篭と大勢の供を用意して送り出した。姫は榛名の湖畔に着くと、満足した面持ちで湖面を眺めた。
すると、一天が俄にかき曇り、黒雲が山をかすめて飛び、凄まじい大嵐となった。と、姫はみるみるその姿を大蛇に変えて、湖底深くに沈んでしまった。侍女たちは驚いたが、もはや城へ帰ることはできないと蟹へと姿を変え、姫に従い湖に入った。
蟹たちは湖の主(姫)の棲み家の湖を清く保つために落ちる木の葉を拾い出すようになった。だから木部の人たちは蟹を食べないのだといい、榛名に行くものも蟹を食べてはいけないという。また、これ以降木部のものは五月五日に榛名湖に赤飯を持って行くようになった。
木部姫が入水した数日後、室田村の長年寺に美しい姫が訪れ血脈を乞うた。住職は姫の障子に映す影が大蛇であることを見て取り、これを断った。すると姫は、身の上を明かし、もし願いが聞き入れられるのならば、永劫に寺に不足のないようにしましょう、と言った。
再三乞う姫に住職も折れ、血脈を授けた。姫は大喜びで榛名湖に戻ったという。その後、この寺で膳椀が多数入用になったときは、寺の井戸に呼びかけると必要な膳椀が浮き出るようになった。井戸の底は榛名湖に通じていると今でも信じられている。

みずうみ書房『日本伝説大系4』より要約

長年寺
長年寺
リファレンス:木漏れ日に生命を!画像使用

これが木部姫の入水伝説。話によりまちまちな部分が多いので、『碓氷郡誌』の文献資料をベースに口承資料から「蟹の禁忌」と「赤飯の投げ入れ」の部分を追加した。

この伝説で目が飛び出る所は「蟹が掃除をする」という所だ。あんまり熱心なもので湖周辺の山にまで落葉がないとまで言われる。蟹の禁忌が見られることからも、この伝説の核は蟹の方にあるのかもしれない。別に赤城山の神が百足になり、榛名山の神が蟹になり大喧嘩をした、という伝説もり(『大系4』「赤城と榛名の神争い」)、榛名ではとかく蟹が重要となるようだ。

斎部広成の『古語拾遺』に掃守(かにもり)連の由来が語られている。豊玉姫命の出産の際に、掃守連の遠祖である遠祖天忍人命が、箒を作って(生まれた子に這う)蟹を払った。これによって、鋪設(祭祀に必要な祭具を用意する職)となり、故事によって蟹守と呼ぶのだという。

『古語拾遺』では蟹を追い払ったような記述となっているのだが、広く南洋まで赤子に蟹を這わせ、その生命力を移そうとする習俗が見られ、また、平安貴族も蟹の模様をあしらった蟹取小袖という産着を赤子に着せたりもしていたので、本来はこれは蟹を這わせる呪術だったのではないかと思われる。

また、箒も広く「お産の神」とされ、「こちらに現われきっていない(漠然としている)赤子の魂(タマ)を掃き集める呪能」ないし「分娩のスムースに行われることを促す分離の呪能」を持つアイテムとして出産にまつわる信仰に顔を出す。

掃守連は宮中であれこれの設えを取り計らったり、蟹や箒を駆使して産育に携わった職能氏族だと思われるのだが、一方の榛名湖の木部姫の侍女たちは「蟹になって掃除をしている」のだ。さらに、榛名湖の西の山は「掃部ヶ岳」という。掃部(かもん)とは掃守連より派生した名の一つだ。

これは繋がる話なのだろうか。現状それは分からないのだが、この地に竜蛇と蟹のテーマに関する重要な鍵があることは間違いないだろう。掃守連に関する話というのは通例あまり竜蛇譚には関係しないようなのだが、榛名湖がもし掃守連に関わるのなら、竜蛇との関係を持つ一例になるのである。

ところで「榛名湖の木部姫」は類話を見渡すと少し奇妙な所がある。類話には木部(木部は高崎市)の殿様が合戦で破れた折、落ち延びて来た木部姫(娘とも箕輪城主の娘で木部様の奥方であったとも)が、もはやこれまでと入水し蛇になった、というものもある。

境内に姫と侍女の慰霊碑を持つ御沼龗神社
境内に姫と侍女の慰霊碑を持つ御沼龗神社
レンタル:Panoramio画像使用

この戦の悲劇の話としての伝承と、先にあげたわけもなく入水してしまう女人蛇体の伝承の雰囲気のギャップが激しいのだ。これ即ち別の話であったのだろうと思われる。つまり、木部城落城・木部の殿様とは関係のない竜蛇譚が榛名にはあったのではないか、ということだ。そしてこれが実際あるのだ。

善導寺の開山:要約
吾妻太郎が真田・武田勢に囲まれ水を止められた。善導寺のお婆さんが真田に山中の清水を教えてしまったのだ。そこで吾妻太郎は米と小豆を山の上から流して滝のように(水があるように)見せかけた。すると、こんどは「あれは水ではないと」お婆さんが真田方に教えてしまった。
吾妻太郎は戦に負け、斬られた首が首の宮の杉の木にかじりついて善導寺のお婆さんを恨んだという。さて、善導寺の裏には汚い池があったが、ある日その水がきれいになった。するとお婆さんが急に「榛名湖に行きてえ」と言いだした。
そこで、駕篭を仕立てて榛名湖に連れて行くと、水の中に入って行ってしまった。水がぐるぐると回り、やがてお婆さんは頭に角が生えた蛇体となって出てきた。こうして善導寺のお婆さんが榛名湖のヌシとなったのだという。
これが五月五日のことであったので、善導寺は命日とし、重箱におこわを入れて榛名湖へ持って行くようになった。はじめの時、その重箱の中に蛇のこけが三枚入って浮いて来、善導寺は宝とした。蛇のこけは水に浸すと雨が降ったという。

みずうみ書房『日本伝説大系4』より要約

善導寺の住職の奥さんであったとも母親であったともいう。なんでこのお婆さんが真田方に告げ口するのかも分からない話だが、これがどうも真田に脅された善導寺住職が内通し、吾妻太郎の怨念により何度建て替えても善導寺は燃えてしまうので本堂がない、という話だったらしい。

要するにこの話も前段の戦模様は竜蛇譚とは別のものだったということだ。しかしそうなるとこのお婆さんの話は木部姫に輪をかけてわけの分からない話だとも言える。木部姫と善導寺に共通する女人蛇体の原型話があったのじゃないかと思うのだが……そしてまたこれがあるのである(笑)。

むかし、草津の娘が二人でワラビ取りに行った。そのうちの一人が、池の端へ行って、あたまをとかしていて、そのまま池の中へ入ってしまった。うちの者が池の水を払うといったら、娘が池の中に立って、「よしてくれ」といったという。
その娘はそのとき蛇になっていたという。その娘は蛇にみこまれて池に入ったのだという。蛇になったのは、草津の平兵衛さんの娘であった。(口承)

みずうみ書房『日本伝説大系4』より要約

草津は榛名湖と同じ吾妻郡とはいえ西北西に30kmも離れた所なので、直接的に同根の話とは言い難いい。が、『大系』の「善導寺の開山」の稿にこの草津の同系話が五話も収録されている。実に、長い長い時間語り継がれて来た独特の風格のある伝説だと言えよう。民話というよりむしろ神話のようである。

そして『大系』が何の意図で草津を榛名に繋げたのかというならば、草津の白根山の北側はもう長野県の志賀高原だ、ということだろう。即ち、黒姫伝説の舞台である。信州から山間に点在する池沼をつないで竜蛇と姫の伝説が連なっていたのだ、と言っているのだと思う。

さて、こうして見てみると榛名湖の竜蛇と姫と蟹の話は、竜蛇と姫の話が信州の方から延びて来ており、そこに蟹のモチーフはオーバーラップしているのじゃないか、とひとまず見ることができるだろう。善導寺の話にも草津の話にも蟹は全く出てこない。

「蟹満寺」の縁起にも見たように、竜蛇と蟹が出て来る話というのはその多くが「敵対関係」なのだ。ここで榛名湖の「竜蛇に仕える蟹」をどうとるかは異なる枠組みが必要となるのかどうかの分かれ目なのである。

ひとまず榛名は「掃守連に繋がるかもしれない蟹のコード」と「女人蛇体」のテーマは別物、の基本路線で追っていきたい。しかし、最終的に結びついているのが現実なのだから、結びつく理由も同時に考える必要がある。竜蛇と蟹が並ぶとはどういうことなのか。これもまた広く見たあとに深く考えて行くことになるのだろう。

memo

榛名湖伝説 2012.01.22

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