大蛇を退治した与一

愛媛県四国中央市内:旧伊予三島市川滝町

昔、与一・与成の狩の名人兄弟がいて、呉石山に来た。すると、頂上の方から立臼が転げ落ちてきた。与成がどうしたことかと問うと、兄の与一は笑いながら、下から上に転がるのならともかく、物が上から下に転がるのは当たり前のことだ、と言った。

笑われて、立臼は今度は上に向かって転がりだした。これも与一は、教えられてからするなど誰でもできることだ、馬鹿な化け方だ、と笑い飛ばした。

馬鹿にされた臼は大きな鹿の姿となって与成に近づいたので、兄弟は矢を口にくわえると、ひょうと放った。矢は見事に命中して大鹿は倒れ、大蛇の正体を現して死んだ。

しかし、与一もまたこの大蛇の毒を受けて死んでしまった。里人は恐ろしい大蛇を退治してくれた与一を有り難く思い、立派な塚を築いて与一権現と呼び、三月二十一日を祭とした。その墓は宇摩郡新宮村上山にある。

『伊予三島市史 上巻』より要約


転がる立臼が大鹿となり、正体は大蛇だったという何ともぜいたくな話。鹿は竜蛇を置換するものかという課題があるが、ここでは間違いなく変身している。この線は以下の話なども参照されたい。

甲賀三郎の妖怪退治
京都府京都市右京区内:旧京北町:都までをも荒す十六本角の大鹿を甲賀(香賀)三郎が討伐する。

また、冒頭の下に転がるのは当たり前だと馬鹿にされる転がる怪は土佐から日向にかけて「たてくりかえし」の名で知られ、話型が共通している。これは以下など参照されたい。

タテクリカエシ
宮崎県東臼杵郡美郷町内:旧西郷村:タテクリカエシという双頭の怪蛇が山の上から転がってきた。

多くたてくりかえしは「杵」の姿で登場するものなので、立臼といっているこの伊予三島の大蛇が同じものという感覚があったのかどうかは微妙だが、話の流れは同一とみてよいだろう。

なお、与一と与成の狩の名人兄弟というのは、同地で伝説群を構成している存在で、いろいろの話がある。室町時代の人だった、ということになっているので、那須与一などではない。