蛇ぶち

宮崎県宮崎市


昔、堀口の川下に下大谷というところがあり大淵があった。その淵には遠い昔から大蛇が棲みついているといわれ、村人たちは近寄らなかった。淵の切り立った崖の上には畑があったが、通じる道からは牛馬が落ちることもあった。しかし、大蛇の餌食になるといわれ、死体を引き上げる者も見た者もなかった。

ある日のこと、この大蛇がどうしたことか切り立った崖上の松の根株に尻尾を巻き付け、対岸の崖上に体を横たえて橋になっていた。ちょうどそこを通りかかった猟師は仰天して、もう大蛇を殺すか食われるかしかないと銃を構えた。

腕に自信の猟師は一発で大蛇の息の根を止め、大蛇は淵に落ちていった。すると、たちまち黒雲が広がり、三日三晩も続いた大嵐となり、見たこともない大洪水となった。それは下流の清武の町を一呑みにしてしまうほどであったという。

これ以来、堀口の猟師や村人たちは、大蛇の祟りを恐れ「つぐろ権現」を氏神として祭り、供養をしているのだという。

『田野町史 下巻』
田野町史編纂委員会(田野町)より要約

追記

大蛇討伐の話だが、そこはさておく。注目したいのはただ一点。討伐した大蛇を「つぐろ権現」という名で祀っているところだ。おそらく「とぐろ」の意だと思われる。

赤ちゃんの保育器であった「えじこ・つぶら」と蛇の関係という件がある。えじこは藁を編んで、とぐろのように作る場合があったのだが、そこに赤子を巻く蛇のイメージがあったか否か、という問題だ(「浅生のつぶら池」)。

えじこを「つぶら・つぐら(ちぐら)」と呼ぶところがあり、「とぐろ」に近いのだが、本当にそういう関係で呼ばれるのかどうかが分からない。この蛇(じゃ)ぶちの話は直接えじこが出ている話ではないが、名の連絡を考える上で参照されるものとなる。

しかし、現状この話の「つぐろ権現」がどのように存在している/いないのかは不明。どのような祭神をあてて神社としていたのかも分からない。鹿児島の方で青あざ(打ち身)を「つぐろじん」というが、関係は不明。甲斐から伊豆にかけて一部蛇のことを「あざ」というが、通じるところがあるか。