蛇鯨

鳥取県鳥取市


(領主の亀井殿により日光池が干拓され)七日後、海から異様な大魚の死骸があがった。長さ一丈余、鱗甲は鳥貝のようで、眼は一寸余で鱈のよう、舌は七八寸で腮より出、腹下に二つの水掻きがあり、背には藻苔が生え、髪のような鬚があった。人は蛇鯨と呼び、図絵を所持する人があるという。

亀井殿自らこの怪魚をさばき、村民で食べたが、肉は牛肉のようで、味は鱣鮪のようだった。ところが、これを食べた者の多くが病み、二十一日の間、亀井殿もおかしくなって数日引きこもるようになった。

陰陽博士にみてもらうと、怪魚は池の主であり、水神の祟りであるという。さらには、亀井殿の夢には美女が立ち現れ、恨みの表情で迫るのだった。それで日光池の蛇霊を一社の神に祀り、蛇王権現として崇敬した。

『因幡誌 上』安倍惟親(寛政七)より要約

追記

安土桃山時代の亀井茲矩による日光池の干拓にまつわる伝説だが、池はもと佐與利之池といい『因幡誌』のその名の稿にいろいろの話がある。もともと竜蛇の主の池としての由来のあるところだが、そのうちの「蛇鯨」の話の部分のみを引いた。

肉の味が鱣鮪のようとあって、その鱣鮪が何かわからないのだが、チョウザメを示す名として例があるようだ。先行する容姿の描写を見ても、確かにチョウザメのようである。伝説集の中には鯨という点を強調して、実際クジラの挿絵を載せているものもあるが、結果蛇王権現と祀られた経緯を鑑みてもクジラではないだろう。

いずれにしても中々類例のない話と思われ、竜蛇と鯨が出てくるような、例えば相州の鯨竜山大谷寺の由来伝説(「真鯨」)などを考える際に重要な参考事例となるだろう。