おとうぼうと炭焼さん

原文:神奈川県愛甲郡清川村


ある炭焼きさんの家に、大変体の弱い子供がいた。その子供のことを、おとうぼうと呼んでいた。体の為に川魚が良い。海の魚より油が少ないので良いとされている。父親は、何時も捉川出口の渕で、魚を釣って帰り、おとうぼうに食べさせていた。今日も釣って帰えろうと、大きな渕に投込んだところ、大きなのが掛ってびっくりしていたが、ゴザに包んで帰ろうと窯ゴザに包み、背負って登坂を上がる時、おとうぼうと云った。くりかえし言うと、こんどは背負った魚が、おとうぼうや でんごぼう釣上げられたと、魚が口をきいているので、見ると大きな口をあけているので、炭焼さんはびっくりして、捨てて急いで家に帰ったところ、おとうぼうは亡くなっていたと言う。以後、この渕をおとうぼうが渕と呼び、坂道をホトケ坂と言うようになったとか、この渕には、うぐいやヤマメなど多く、大魚が住んでいたので炭焼の人は、一日捕る数をきめて捕っていたので、毎日釣れないことはなかった。

ある日、大きなのが釣上げられた。魚たちは、かなしんで、かえるたちも魚のあわれさをかなしみ、人々が近ずくと、かえるは頭を下げて、魚たちを捕らないで下さい。と言い続けて来たが、この渕にいたガマは、頭を下げた。人が捕えようとすると両手をついて頭を下げたのを見たことがあるが、堤防の為、渕はなく、浅瀬になり魚もかえるもいない。岩たばこと山ぎぼしの生接地でもある。

『清川の伝承』(清川村教育委員会)より

追記