不動沢の弁天

原文:神奈川県愛甲郡清川村


字谷太郎の奥の自然石をくり抜いた中に弁天の座像が祀ってある。さしたる名作とは感じられないが次のような話が伝っている。

この部落の岩沢某(子孫現存)家に容色美しき一人の娘があった。夜毎此処に通う若者があって、娘は非常にこまった。両親とも相談して、厳重な戸締りをしてやすんでも、何時の間にか侵入して来るので、いつしか身籠ってしまった。ところがその若者の身許が知れない。一計を案じて、一夜其の男の着物の裾に針を差し糸をひいておいた。翌朝その糸をたどっていくと浅間神社に住む蛇の尾に通じていた。身ごもった娘はやがて蛇を産むというので(不明)を千匹たらいに入れて、その上でお産をしたが、間もなくその娘は死んだ。これを哀れんで、この弁天の像を祀ったと伝えられている。

今でも養蚕をする家では、蚕につく鼠退治に、その弁天様に上っている石を借りて行き、蛇に鼠退治をして貰う風習がある。

『清川村の郷土史』(清川村教育委員会)より

追記