不動沢の弁天

神奈川県愛甲郡清川村


谷太郎の奥に、自然石をくりぬいた穴の中の弁天座像がある。部落に今も子孫のある家に、昔美しい娘がいた。この娘に通う若者がおり、厳重に戸締りしても侵入してくるので、両親共々困っていた。やがて娘は身籠ってしまったが、若者の身元が知れないので、一計を案じた。

一夜、若者の着物の裾に針を刺し、糸を引いたのだ。翌朝その糸をたどると、浅間神社に住む蛇の尾に通じていたという。娘はその後、蛇の子を産んで死んでしまった。それで、娘を憐れみ弁天像を祀ったのだそうな。蚕の時期には、その弁天様に上っている石を借りて行き、蛇に鼠退治をして貰う風習がある。

『清川村の郷土史』(清川村教育委員会)より要約

追記

元話では、何か(文中空白)を千匹入れた盥を娘にまたがせお産をさせたとある。多分蛙だろう。谷太郎(川名・地名)川沿のことだとは思うが、その弁天像・不動沢・浅間神社の現状は不明。

愛甲郡ではそうでもないが、相模川の東側に行くと、養蚕守護の神仏に弁天が信仰されることが多かったので、清川村にもその一端があったというのは良いだろう(蛇聟を由来とするというのは大胆だが)。それ以外に、細かなところが気になる話でもある。

まず目を引くのは石を借りてくるところで、周辺養蚕守護の弁天の話は各所にあるが、絵馬ないしお札の授受がもっぱらで、石というのは聞かない。石を借りてくるというのは上州の方に見える(「咲前神社の白へび」など)。

次に、蛇聟の出所が浅間神社となっている。これがどのようなお宮だったのかがわからないのだが、その組み合わせが重要であったというなら、浅間の蛇の事例であるといえる(浅間さんの神使いも蛇であることがある「浅間社のぬし」など)。

また、蛇聟によって娘は死んだわけだが、結果蛇体であり蛇を使いとする弁天と祀られた、というところも気にしておきたいだろうか。蛇聟の話には多分にこういったところがある。