煤ヶ谷村の雨ごい

原文:神奈川県愛甲郡清川村


煤ヶ谷村には昔雨ごいという珍しい行事があった。私は過去二回程経験した事がある。夏の天気続きで農作物は枯死状態となり、河川も渇水し此の上は神仏に御祈りする以外に道はなく、隣の町や村も古式の慣例に依って鐘や太鼓を打ち鳴らして盛大に祈願を行ったものでした。特に雨降山大山寺では連日各町村から雨乞祈願をしたものでした。

煤ヶ谷村では昔から雄竜雌竜の二頭の大蛇を造りこれを担いで練り歩く誠に人手のかかる雨ごいの珍しい行事があった。先づ村内一同で協議の上雨乞の施行と日時を決定し、当日村民総出三百人、麦わらや、資材を持って八幡神社に集合する。村の長老の指導で二頭の竜の胴体造りから始る。長さ約二十米、太さ四斗樽程の太さの竹かごを造り麦わらを巻きつけ、こけら、頭、尾などは共に技巧をこらし恐しい見事な恐竜ができあがる。仏式に依り入魂され、やがて四斗樽二本の鏡をぬいて酒を飲み勢をつけて大勢で担ぎだす。先づ八幡神社の廻りを三回風を立て走り廻りそのものすごさは生ける恐竜の如く眼光金色にかがやき口をあいて炎の如く舌を出し二米余りのあごひげ出し誠に恐しい竜でした。神社を出て下煤ヶ谷一円を練り歩く、なお当日は雨乞のため通行人、見物人に頭から水をかける習慣があり、逃る人にかけたものでした。当日は水をかけられても文句のいえない日でした。長老たちは鐘や太鼓をたたいて(雨たんむれじうかんの空に雲が引張った)といいながらおどり歩いたものでした。やがて雌竜を御所垣戸の獅子淵の深みに沈め、一頭の雄竜は川を上り道路に出て上煤ヶ谷一円を練り歩く、やがて夕方湯出川の天王神社横の淵に雄竜を沈めて雨ごいの行事が終るのである。やがて数日の間に、泰山鳴動して大雨となり、農作物に悲雨を与えて大洪水となり大水に乗って雄竜が恋しい下流の雌竜に合流するという、誠に御利益あらたかな行事である。

煤ヶ谷 杉山松太郎 七十六歳

『山彦古話』清川村老人クラブ連合会
(清川村)より

追記