塩川滝の由来

原文:神奈川県愛甲郡愛川町


愛川町の半原地区と田代地区を結ぶ馬渡橋。その下に宮ヶ瀬ダムに端を発する中津川の流れがある。この川添いの道を、おおよそ一粁程下ると、やがて斜め右に入る渓流添いの道がある。岩肌の細いでこぼこ道ではあるが、このあたり迄来ると、何となく冷気が漲り、数分も歩くと、轟音と共に塩川滝がその雄姿を現す。この滝は、半原の南山から発し、田代法華峰との谷間境を流れて中津川に注いでいる。滝幅四米、落差三十米。滝つぼの近くは夏でもひんやりとした空気が漂い、その飛沫を浴びるとおのずと神秘の中に巻き込まれそうな思いである。

神亀年間(七二四〜七二九)奈良東大寺の良弁僧正が、ここに清瀧権現を祀ったとの傳承があり、又八菅修験の第五番の修行所であったとも言われている。今も滝の近くには、塩川神社という名称でその信仰は続けられており、細野区民の手で立派なお社が造営され、区民の守り神として鎮座ましましている。

又塩川滝は名勝であると共に、雨乞いの霊験あらたかな滝としても有名で、古来から土地の農民は、旱魃の時に、この滝の水を持ち帰り、自作の田畑へ撒き散らしたということである。

塩川滝をめぐる傳説に、もう一つ摩訶不思議な話がある。滝口の上部には昔から江の島渕と呼ばれている淀んだ渕があり、その水脈は遠く江の島へ通じていると言われている。

神奈中交通の角田大橋のバス停の横に、小さな森があり、市杵島神社と記された古い古い小さなお社がある。昭和五十九年に町の教育委員会に依って立てられた説明板を読んでみると昔、江の島の弁天様が岩屋から穴づたいに塩川滝に向かって歩いておいでになり、このあたりで一休みなさり、姿をお現しになったとのこと。村人は驚いて伏し拝み近くに弁天社を祀り、川辺を弁天渕と名付けて今日に到ったそうである。満潮時には海の潮が、ここまでさして来たとも言われている。つまり、市杵島神社は弁天様を祀った神社なのである。

江の島の弁財天様が、塩川滝の清瀧権現様とのデイトにお越しあそばしたのだろうか。

そんな空想をめぐらすと、何とも素敵なロマンに満ちた話である。

淨衣を纏い、神が立っておわすかのような荘厳な塩川滝であるが、涼を呼び庶民の夏の格好の避暑地として、今夏も多くの人々が訪れることであろう。(小島みどり 神奈川ふだん記 平成十四年発行55号より)

『愛川町の昔と今1』神奈川ふだん記グループ
(うらら文庫)より

追記