蛇骨と大平台の名の起こり

原文:神奈川県足柄下郡箱根町


鷹ノ巣山から小涌谷を経て底倉で早川に合流する渓流は、うっそうとした樹林に覆われて昼間も暗く、その水は滝のような急流となって谷底を滑るように流れていました。が、その水音は、さらさらと音曲を奏でるように流麗に風に揺れる木々のささやきと呼応して、むしろ大自然の静けさを深める感さえありました。

そのまた昔のことです。その山里に笛の上手な美青年がいました。青年は目が悪いため、昼間は湯宿に来る湯治客の揉み治療をしていましたが、夕方になるとこの川のほとりに来て笛を吹いて楽しんでいました。せせらぎと木々のささやきに和していっそう笛の音が冴え、それが谷にこだまし、山にこだまして美しく響きわたり、夢幻の境にさそっていくのでした。

ある月の出の早い明るい宵のことです。いつものように笛を吹いていると、突然一陣の強風が吹きつけたかと思うと、あっという間に黒雲が月も山も覆い、深夜のように暗くなってしまいました。そして、その黒雲の中から、らんらんと光る鋭い二つの大きな目玉が現われ、青年のほうへ近づいて来ました。

「わたしは鷹ノ巣山に住んでいる大蛇だが、明後日天に昇ることになった。わたしが昇天する時は、恐ろしい山崩れが起こって、この付近に住む村人は残らず生き埋めになってしまう。だが、毎晩美しい笛の音を聞かせてくれたお前まで死なすのは可哀そうだ。だからお前にだけは知らせることにした。明日は最後の夜となるので必ず来て吹いて聞かせてくれ。そしてそのままこの地を離れなさい。ただしこのことは決して人に話してはならぬぞ。もし約束を破ればたちどころにお前の命を絶つ」といって消え去りました。

大蛇の姿が消えると共に、立ちこめていた黒雲も消え去り、空には十五夜の月が煌々と何ごともなかったように樹林を、谷を明るく照らしていました。

恐ろしさに気を失いかけていた青年は、ハッとわれにかえり、一体今のは夢であったのかと疑いましたが、鷹ノ巣山の方を見ると、月光に照らされたその斜面に大蛇に押し倒された木々が一筋の道をつくっているのでした。

驚いた揉み治療の青年は、どうしたものかと大いに悩み迷いましたが、大勢の村人の命には代えられないと、急いで底倉周辺一帯を治める領主・木賀善司にこのことを告げました。領主はしばらく黙していましたが、一大決心をした面もちで、青年に明日もいつものように流れのほとりに行って笛を吹くようにいいました。

翌日の夕方になると領主は、青年の後を追い、強弓を手にして岩と木立の陰で大蛇の現われるのをじっと待ちかまえました。青年はいつものように笛を吹きはじめました。月は少し遅れましたが、昨夜とほとんど変わらぬ十六夜の美しい姿で下界を照らしていました。が、大蛇はなかなか出てきません。領主が青年の幻覚だったのではないかと、がっかりして帰り支度をしようとした時です。ゴーッと雷鳴にも似た音を伴って、一陣の強風と共に四斗樽近くもある大蛇が、黒雲の中から頭を現わし、大きな両眼をらんらんと輝かせて近づいて来ます。

今だっ! 領主は渾身の力をこめ、強弓を引きしぼって大蛇の右目めがけて矢を放ちました。弓術では相模の国随一といわれる領主です。矢は見事右目から頭を射抜いたので、大蛇は七転八倒して苦しみ暴れました。

この時、大蛇は苦しみのあまり、のた打ち回ってその振り回した尾で城山の傾斜地の凸凹を平らにし、ついに古巣へ逃げ帰ることもできず、頭を笛塚のあたりにし、谷川に沿って体を横たえ、こと切れてしまいました。

それからというもの村人は、この平坦になった地を尾平台というようになり、それが大平台になったと伝えられています。

また、大蛇の死骸が骨となり石になったのだといって、その川を蛇骨川と呼ぶようになったと伝えています。

蛇骨川のあたりは、日本でも数少ない高温で中性のナトリウム─塩化物泉の湧出地で、高温の温泉から晶出する白色の無定形珪酸が、岩の割れ目に沿って蛇の骨のような沈殿を作るので、これを蛇骨石と呼んでいます。

『箱根の民話と伝説』安藤正平・古口和夫
(夢工房)より

追記